ぷち てんてん

2009/01/12(月)22:22

ブラインドネス

2009洋画(61)

この映画伊勢谷君や木村佳乃が出ているというので気になっていたのよね。 でもてっきりこっきり、パニックホラー映画だと思っていたので「あれ?」って思っちゃった(笑) これから見られる方は、ゾンビは出てこないですからね~~、そういう映画ではないんですよ。 ☆ブラインドネス☆(2008) フェルナンド・メイレレス監督 ジュリアン・ムーア マーク・ラファロ 伊勢谷友介 木村佳乃 ガエル・ベルシア・ベルナル ストーリー  ある日、車を運転していた日本人の男が突然視力を失い、目の前が真っ白になる事態に見舞われる。しかし、彼を診た医者によれば、眼球に異常はなく原因は不明だった。その後、同様の患者が各地で続出、混乱が広がっていく。感染症の疑いが濃厚となり、政府は緊急隔離政策を発動し、発症者を片っ端からかつて精神病院だった隔離病棟へと強制収容していく。最初の患者を診た医者もやはり失明し、隔離病棟送りとなるが、その際、医者の妻は自分も失明したフリをして夫に付き添うのだった。彼女だけは、なぜか失明を免れていたのだ。こうしてただ一人、目が見えていながら隔離病棟内に入り込んだ医者の妻は、やがて想像を絶する惨状を目の当たりにするのだが…。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 映画を見ているときは、なんだ?これはって思って見ていたのだ。 ほら、感染して街が死に絶える…っていう展開だろうと思っちゃったんだもの(笑) それにしては感染してもいっこうに死に至るような兆候が見れない。 したがってゾンビも襲ってこない。 おかしいな・・・・ そうか、これはパニックホラーではないんだ。 気がついたのは、中盤(遅いか?(笑)) なので、映画館を後にするときは「なんだか、はっきりしない映画だなあ」思ったのだ。 しかし、あとからいろいろ考えた結果、ああ、そうかと思った。 以下ネタばれあり 最初に感染した伊勢谷君。目の前真っ白。 このストーリーは、メイレレス監督らしい題材だったんだね。 すっかり、見終わるまで監督が誰だか忘れていた。 「シティ・オブ・ゴッド」の監督だもんね~~。 しかし、私は「シティ・オブ・ゴッド」の方が衝撃的だったけどね。 こちらは、結構こういった題材ですでにいろいろ見せられているという気がする。 ちょっと違うかもしれないけど「es」とかまたは「ドッグヴィル」的な感じ。 「es」は収容されるものとするものという実験、「ドッグヴィル」は線を床に引いただけというシンプルなセットで人間の弱さやもろさを描いた問題作。 そういったものを描こうとしてるのかなって思った。 一番長いのは、もちろん武力で閉じ込められた病棟でのシーンだ。 否応なく閉じ込められた感染者。 最初は何とかこの状況に慣れなければと、団結とまではいかないが秩序を保とうとする。 しかし、感染者が増えしかも環境が劣悪になり外には絶対に出られないという絶望的な状況の中、ここに「収容所」という一つの国が出来上がる。 秩序がすぐになくなり、支配する者される者が出来上がる。 民主主義とかなんとか、そんなもの一切なしだ。 ガエル君が粗暴な「王」になる。 ・…あ、ガエル君「王様」になるのは二度目だね(笑) 「キング罪の王」でも王様になってたもの・・・ しかし、この「王」の馬鹿さ加減はどうだ? 食料を確保することがこの世界を牛耳ること。 拳銃を持った彼が、貴金属と食糧との交換を始める。 貴金属って無意味だなあと、このとき思った。 この状況で金銀財宝にどれほどの価値があるんだろうかって思って見ていたのだ。 だが、一つの国での事を考えると何かそういったものに価値を与えなければならないのかもしれない。 そして、次に「王」が言い出したのが女性との交換である。 ふむ、そう来るか… 食料を握ったものが強者となるのはよく分かる。 強者になると力を見せつけるために奪い取り、人を支配する喜びを得ることになるのだろう。 私はこの病棟のシーンで 「こんな内部でごちゃごちゃしてないで、もっとほかにすることがあるんじゃないの?」 と、じりじりしてしまった。 外の兵士たちを襲って逃げ出すとかさ~~。 なんとか出来ないわけ?これだけ人間がいて…なんてね そして、ここに一人だけ目が見えている人がいた。 伊勢谷君を診察した医師の妻(ジュリアン・ムーア)である。 この彼女の存在はなんだろうね。 彼女は唯一目が見えるんだから、どう考えてもガエル王よりも有利なはずなのだ。 彼女がもっと邪悪な心を持っていたらガエル王が出現する前に支配者になっていたはずでしょう? この妻がしようとしていたことは「支配」ではなく感染が終結するまで生き延びることだったと思う。 しかし、それは目が見えていたからなのかもしれない。 それとも、生き延びるためにはいずれ「指導」という名のもとに「支配」する必要が出てきたのだろうか?? 見えなくなっている者(これは何かの比喩なのだと思う)は、まったく周りの状況を判断できなくなり、本能に従うんじゃないの?って監督は言っているわけでしょうかね。 そういう人間の嫌や~~な面を見せつつ、もうひとつ自分の目で見たことを信じて判断を下していた人間が目を閉ざされたら、何を持って判断するのかって言っているみたいね。 価値観が変わる。 見えるものが本当に大切なものなのか? 見えない相手を信頼し自分を信頼してもらい、心と心を通わせなくては生き残れない。 さて、感染は知らぬ間に広がっていて思わぬ展開もあり、感染者たちは街に出ることになる・・・ 死に絶えた街(でもウィル・スミスのように一人じゃなかった)には、感染者たちがうろうろしている。 スーパーマーケットでの食料調達のシーンでは、自分が守って連れてきた仲間の食料を他の感染者たちから守るため、必死に振り払って逃げる医師と妻がいた。 決して妻が聖人のように慈悲深いわけではない。 でも、その妻の気持ちもわかるから…・恐ろしいことだけど、どの人間の心にもあることだから・・・何とも言えない気持ちになる。 ラストは、あれれ…この病気はなんだったんだい?って感じになるんだけどね。 (だからパニックホラーじゃないんだってば・・・(笑)←ひとり突っ込み) ところでこのラストだが、唯一感染しなかった妻が感染する番だということなのかな? 見えないことを経験しなくちゃいけないということなのかなって思ったんだけど・・・ ジュリアン・ムーアってこういう映画よく出るよね^^) なかなか良かったわ。 伊勢谷君も最初の感染者ということで、見せ場もあったし途中で死なないし… 伊勢谷君も木村佳乃も英語は全く不自由しないから、堂々としていてうらやましい。 日本人が見て違和感がない日本人夫婦だったのはうれしいよね。 これからも海外の映画にどんどん出ていってほしいと思うなあ。 ガエル君…今度はもっといい役にしようよ~~(>_< ) 応援してるよん♪

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