「ラ・バヤデール」のことなど。
ベルリン国立の「ラ・バヤデール」は「ラ・バヤデール」らしくなくって、あんまり好みではないなぁと言うことはかなりしつこく書いてきたことだと思うのでもうこれ以上繰り返しませんが(笑)、それでも「ラ・バヤデール」ってやっぱり面白い作品ですよねぇ。私がこの演目を初めて観たのは前回03年にパリオペが持って来た時。オスタ&ルグリの日を2回も観ました。今思えば一体なんだって同じキャストの日を2度も選んだのかが全くわからないのですが・・オスタあるいはルグリどちらかのファンとかいうなら話はわかりますが、私は2人とも観るのは初見だったし、映像とかでも見たことはありませんでした。なのになんで同一キャストの日を2度も観に行ったのか、いまの私には理解出来ません(笑)。多分チケットが入手し易かったんじゃないかな~?ということくらいしか想像出来ませんね。もともとオレリー&ルグリの予定だったのが?オレリーの降板で急遽オスタが代役出演、ということになったのでしょうか?しかしルグリも2度も出演する予定ではなかったんですよね?当日会場で配られたキャスト表にはルグリじゃなくてギョーム・バールって書いてあったのに開幕前にギョーム・バールじゃなくてルグリが出演します、っていうアナウンスがあって会場中がワァ~って、湧いたの。私にはなんで皆さんがこんなに喜んでいらっしゃるのかが全然判らなかったんだけど(今思えば情けな過ぎ・・)。多分あの時の私はキャストなんか全然わからなかったしど~でもよくって(笑)、ただただパリオペの舞台を観ること自体が目的だったんだわ。「ラ・バヤデール」っていう演目自体もよくわかんなくて、プログラムで必死にあらすじを掴もうと頑張ってたんだよね~。はぁ~、今から思えばほんと笑っちゃうけど。だけどそんな私にも「ラ・バヤデール」の面白さというのは充分に伝わりました。とにかく登場人物がみんな変(笑)。「白鳥」やら「眠り」やらの非人間的な王子様やお姫様とは違って、皆非常に人間的。恋はするわ(大僧正含む)、密告はするわ(←大僧正)、嫉妬に狂うわ(←大僧正&ガムザッティ)、人殺しはするわ、プリンセスとバヤデールが派手な喧嘩をやってくれるわ、とにかく1、2幕の現実世界での事の成り行きというのはバレエ=美しいおとぎ話(毒にも薬にもならない)、と思い込んでいた初心者の私にとってはビックリするようなことばかりで。まぁとにかくこんなバレエがあったとは!という驚きの連続。極彩色で彩られた想像上のインド、っていうのもこれまた今まで観たバレエではあり得ない世界だもの。引き込まれました。でね~、さらに驚いたのは第3幕です。言わずと知れた「影の王国」。あの場面は生で観ると何度観てもあきるということの無い「バレエ美の極致」みたいな世界だけど、初めて、予備知識無しで観た私には衝撃的でした。影たちがひとりひとりスロープを降りてくる、ひとり現れたかと思うとまた続いて、というのが延々と果てしも無く繰り返されるように思えて。うわ~、これは一体なんなの!前幕までの華々しい世界とは打って変わった静寂の世界。白一色の世界。白一色で染められたコール・ド・バレエの美しさはその美しさに殆ど酔うよう。この世のものとは思えない・・そんな思いで殆ど呆然自失。この現実世界と彼岸?の世界との対照は見事の一語に尽きますね。どちらの世界もこの作品の「核」となるものであり、「アイデンティティ」ということになるでしょう。どちらか一方の世界が欠けたならこの作品は成り立たないと言ってもいいでしょう。それくらい、この二つの世界の対置の絶妙さがこの作品の「命」だと私は思うんですよね。え~、もちろんこの二つの世界を対照させる、という手法はなにもこの作品だけに限ったものではありません。「ジゼル」「ラ・シルフィード」などはこういう手法がとられたもう一つの典型でもありますよね。だけど、やはりこの「対照」という意味においては「ラ・バヤデール」の方が数段優れている、と私は思います。「ジゼル」や「ラ・シルフィード」はそれぞれ現実世界が中世?ドイツとスコットランドということで、もう一つの世界を待たずとも最初から大変小綺麗な世界として幕を開けます。登場人物にしたって基本的に皆さん善男善女。私はアルブレヒトもジェームズも善男?だと思ってます。ジゼルはもう言わずもがな、ですし。「ジゼル」にしろ「ラ・シルフィード」にしろ登場人物はみな可愛いものです。「ラ・シルフィード」の方はもうちょっと複雑なような気もしますが?やはり「バヤデルカ」の登場人物に比べたらやっぱり皆「綺麗」ですよね。「バヤデルカ」の登場人物たちはちょっと見「綺麗」とはとても言えないでしょう。それどころかドロドロとした欲望に執りつかれていて「我執」の塊みたいな印象も受けます。ニキヤだって自分とソロルの愛は「絶対」だと信じきっているし、だから辛いけど自分から進んで身を引こう、バヤデルカのひとりに過ぎない自分なんかと愛し合っていたってソロルにとっては仕方が無い、ソロルはガムザッティと結婚した方が絶対彼の将来の為になるもの・・なんて健気な考えは起こしっこありません。ニキヤだってある意味とっても「傲慢」だと私は思ってます。決して、愛する人に裏切られた可哀想なニキヤ!などと単純に「犠牲者」として位置付けることは出来ないんじゃないかと。え~、もの凄く長くなってしまったので続きはまた次回に。なお、いつものことですが、上に書きましたようなことは全て私個人の「独断と偏見」のオンパレードでありますことを書いてる本人が一番良く自覚しておりますのでよろしくお願いします?←なにをお願いしてるんだか(笑)。