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カテゴリ:本の話
こんばんは。いつものことながら、お返事が遅くなりました。
自分は歴史の中で運よく戦争のない時代・戦争のない国に生まれ、天災にもめぐり合うことなく今日まで生きてきました。 自分で体験していないことについては、人から話を聞いたり資料を追ったりして、そして想像することしかできないのが人間です。 逆に、想像することができるからこそ人間であるわけなのですが。 戦争の話を聞いて市場に関する思考に直結させてしまう自分は、確かにその想像力が欠如していると言われても返す言葉はありません。 実際に体験したことを「忘れたい」と思ってらっしゃる方々のことも、申し訳ないですが想像でしかその気持ちを推し量ることができません。 「忘れたい」と思ってらっしゃる方に対して「それはダメだ」という権利は私にはないということだけは最低限承知しているつもりでしたが、それでも配慮に欠ける面があったかもしれません。 感想文を読んで気分を悪くされた方には、本当に申し訳ありませんでした。 ですが、今回の感想文をページから削除するつもりは、現時点ではありません。 3年、5年、10年と年を重ね、いろいろな物事を見聞きするうちに、原爆について、戦争について、この「夕凪の街 桜の国」という作品について、そして自分が今生きている世界について、また別のことを思うようになるかもしれません。 先日の感想文は、この作品を読んで「今」思ったことを残しておきたいという気持ちで掲載しました。 感想文が配慮を欠いたものになっているという批判があれば甘んじて受けます。腹はくくっております。 ただ、「あの時自分はこんなことを考えていた」ということは、たとえそれが拙かったり、くだらなかったりすることであっても、生きていく中で大切にしたいと思っています。 ですので、掲載を取りやめることは今のところは考えておりません。ご了承ください。 「『広島のある日本のあるこの世界』が大好きと言えるか?」というご質問には、そう断言したいという願望も込みで、あえて「はい」と言わせていただきます。 質問の意図からずれた理由かもしれませんが、この世界に、毎日をその人なりに一生懸命生きている人がいる限り、私は自分が今暮らしているこの世界を好きでいたいと思います。 最後になりましたが、私の拙い感想文に真正面から向かってきて下さいまして、ありがとうございました。 「人に物を伝えること」や「人の想いを推し量ること」を考えるきっかけになりました。これも、自分の中ののどこかで考え続けたいと思います。 これも一生物の宿題ですね。 それではまた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>感想文が配慮を欠いたものになっているという批判があれば甘んじて受けます。
私はそんなことはないと思っています。 「これも一生物の宿題」と認識されている 貴方の姿勢に敬意を表します。 (2005.04.13 02:02:20)
こんにちは。
私が書いたSSに「母(妻)が亡くなったことを忘れているような生活をしていて、そしてとあることでそれを突きつけられて悲しい思いをする」というのがありました(今はないです)。 人間、全部を背負い込めるわけはないわけで、そんなコトしてたら「人間がこれ以上増加すれば食糧危機が起きる。だから人間みんな死ぬべきだ」と言う極論がおきてしまいます。実際問題、自分が食事しなければならないわけで、自分が生きる余裕があるからこそ、他の人のことを考える余裕ができるのです。 だから、私の最初の感想は極論だったわけで、現実問題として私も毎日広島の恐怖におびえているわけではないのですが。 でもあえて、知って欲しかった。それは、あなたと、あなたのブログを読みに来ている方々だからです。あなたの人となりは多少なりとも存じております。だから、あえて正直に自分をぶつけました。その点では、感情的になりすぎたかもしれません。それはお詫びいたします。 ところで、先に書いたもう一つの回答をいただきたいです。 今は、ちょうど沖縄戦の60周年です。60年前の沖縄のこの時刻、苦しみながら戦死していった日米両軍および沖縄住民について思うところはないのか? ということです。 広島の死者と沖縄の死者の命の重さには、差があるのか? 「認識していない」のなら、「気にしなくていい」のでしょうか? それは、私がずっと気になっている、29年生きて、答えのでない疑問なのですが。 (2005.04.13 17:19:09)
毎度。遅くなりました。
こんなことは当然ご承知とはおもいますが、この問いは「答えを出すこと」よりも「そのことについて考え続けること」が必要なことだと思います(自戒を込めて。)。 万が一その答えが出てしまうことで、それに安心して考えることをやめてしまう可能性もあるでしょうし。 あの時の広島であろうが、沖縄であろうが、今のイラクであろうが、日本であろうが、その時、そこに、その人が生きている、生きていた。 この世に生まれてきた。 そして、その人が生きた時の中で、何者かになろうとし、何かを残そうとした。 そのこと自体に意味があると思っています。 時の理不尽さによって、たとえそれがかなわなくとも、その人が何者かであろうとした、何かを残そうとした意志は、今、どこかに残っていると思います。 それだけでも意味があるのではないでしょうか。 答えになっていないかもしれませんが、これが今私が言える全てです。 これも自分への宿題…、っていくつ抱え込めば気が済むんでしょう(笑) でも、自分への宿題って一番厳しい宿題ですよね。忘れても怒ってくれる人はいないし、反省文を出す相手もいないし。 そんなこんなで、生きている限り、答えのない沢山の宿題を抱えて、でも、前を向いて歩くしかないわけでして。 それではまた。 (2005.04.15 00:00:46)
ネットという、言葉だけしか伝えられない場できちんと話し合いができる、そんな場を見ることができ、私にも勉強になりました。
それはひとえにSleepy-Akkyさんの真摯な態度によるものでしょう。 またほくほくさんのしっかりとした受け止め方と態度によるものでしょう。 ほくほくさんの呼びかけにあるように私たちSleepyさんのブログ読者にも大きな宿題ができました。 いつも、いつまでも考え続け、近づきつづけなければならないから、一生の宿題となるのでしょう。 また、思想や体験、感情を言葉で伝えることの大切さ、難しさ、そして自分の発言に対する責任も改めて感じました。 ありがとうございました。 (2005.04.16 17:45:24)
こんばんは。
>こんなことは当然ご承知とはおもいますが、この問いは「答えを出すこと」よりも「そのことについて考え続けること」が必要なことだと思います(自戒を込めて。)。 >万が一その答えが出てしまうことで、それに安心して考えることをやめてしまう可能性もあるでしょうし。 そうですね。それは、たしかに。一方的な考えになってしまうかもしれませんし。 >そして、その人が生きた時の中で、何者かになろうとし、何かを残そうとした。 >そのこと自体に意味があると思っています。 おっしゃるとおりですね。吉田満「戦艦大和ノ最期」にそういう文章があります。 >そんなこんなで、生きている限り、答えのない沢山の宿題を抱えて、でも、前を向いて歩くしかないわけでして。 人生って言うのはそういうものなのかもしれません。私はぜんそく持ちでして、自分の人生を呪ってきた人間ですから、どうしてもネガティブなんですよね(苦笑)。 >>フーシェさん ご返答ありがとうございました。大変勉強になりました。 >思想や体験、感情を言葉で伝えることの大切さ、難しさ 私も二次創作小説書き(下手ですが)をやってまして。スクールランブルというマンガのファンサイト 「香奈花の世界」というのをやってます。 もしよければご一読いただければ幸いです。 http://www.geocities.jp/kanakanosekai/ では、失礼します。 (2005.04.18 19:46:22) |
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