クルマ、バイク、鉄道模型など趣味で人生を楽しむ
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皆さん、初めてその車を見た時のことを覚えている車はありますか? 私にとって、その車は日産フェアレディZであり、クルマ趣味の原点となった忘れがたいクルマです。大学に入学した昭和46年の暮れに今は亡き兄と大阪道頓堀から御堂筋に出たところで、サファリブラウンのフェアレディZが目の前を疾走していく姿を初めて見た時のことは一生忘れないでしょう。 その後、直ちに家庭教師を3軒掛け持ちし、親に入学祝で買ってもらったマツダのロータリークーペを勝手に下取りに出して、さらには簿記1級の合格祝として40万円を親からむしり取り、翌々年の1月に110万円でZLを手に入れました。結局、その車はソレタコデュアルにGノーズとオーバーフェンダーを付け乗っていましたが、それでも満足できず、240ZGに乗換えて結婚したあとも29歳まで乗っていました。ただ、「二人乗りは絶対ダメ」、「歳を考えなさい」と周囲から散々言われて不承不承手放したものの、内心は収まらず、とうとう36歳になって探し続けた432の中古を見つけて、レストアに没頭しました。その間、神奈川日産やヤフオク、部品交換会などによる部品捜しや日産ピーズ、その他全国のレストアショップとの付き合いを通じて旧車マニアとの交流が深まり、「クラブS30」というワンメイククラブを創設しました。そうしているうちに、クラブが有名になって日産との関係も深まり、アメリカ日産の元社長でZの生みの親である片山豊様やワークスドライバーであった北野元様、柳田春人様、デザイナーの松尾良彦様など、Zを愛する数多くの方々とお付き合いをさせていただきました。日産の銀座本社、支社にもう1台の忘れえぬ愛車ハコスカGTRとともに展示してもらったり、NISMOデーであのゴーン社長と直接お話ししてFISCOを1周できたのも忘れ難い思い出です。Zには延べ32年間乗りましたが、自分の人生を振り返る時には回想シーンによく登場し、かけがいのない存在になっています。
日産ピーズモータースポーツ東京 高井戸ファクトリーで今では考えられないような完璧なメーカーサポートでフルO/Hとメンテをしていただきました。 ハコスカGTRとの比較に関しては別稿をご覧下さい。 フェアレディZの生みの親 アメリカ日産元社長 片山豊様と 北野元様と タイヤショップウルフにて エンジンフードの裏には北野様、片山様のサインをいただきました。 津々見友彦様 ノスヒロの取材で伊豆スカイラインで乗車され、完調の432を気に入られて、取材終了後も「もうちょっと走ってもいてもいい?」と言われて30分ほど帰ってこなかったです。 TV東京の番組取材中の高田純次、小倉智昭、水野裕子様。皆さん、楽しそうで撮影後の雑談も長かったです。 昔の資料や写真を整理中なので、今後も適宜更新していきます。よろしくお願いいたします。
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