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カテゴリ:What's up?
まず、被害者の方々と遺族の方々に対しては遺憾な思いでいっぱいでしょう。その思い、本当に痛み入ります。
毎日満員電車で通勤している自分にとっても、決して他人事ではない話。 あれだけ大勢の人間を乗せてあんなスピードで移動する物体が、よくもこれだけ少ない事故でやってこれたものだと、むしろ感心してしまう方です。 燃える車を作る会社があったりしますが、そんな会社は即刻消えてしまって欲しいですが、その責任はいったい誰にあるか?という話になったときに、経営陣の責任追及で終わるのか?といつも疑問に思うのです。 2007年問題というものがあります。団塊の世代にあたる、非常に多くの雇用者が定年を向かえ、2007年が人数的なピークであります。 懸念されることとして、そういった企業経験を多く積んだ、戦後の日本を支えてきた方々が一気に、企業からいなくなることで、人手にかかっていた知識や手法が失われてしまうという話。 特にJRさんなんかだと、車両の整備士や線路の敷設担当者など、技術的なスキルを積んだ方々が非常に多くいるはずで、また同時に続々定年退職されているはずです。 以前、中央線の架線工事が長引いて始発から運休、という話がありましたが、そのあたりから私はなんとなく不安でした。 今回の運転手が23歳の方だったということを聞いて、ああこれは技術的な進歩や公共性の重要さを分かっていない我々若い世代の問題も多分にはらんでいる、象徴的な事件ではないか?と感じてしまいました。 自分の胸に手を当てて考えると、様々な場面で「誰かがなんとかしてくれる」とか思いがちです。それは両親であったり、その先の年長者であったり。 既存の社会のルールを壊して、覇権を広げて喜ばれる若者(誰とは言いませんが・・・)がいらっしゃる。それはそれで結構なんですが、同時に過去作り上げたこの巨大な社会を、円滑に回していくための視点や綿密な努力も、我々には必要なのではないでしょうか。 もうすぐ「家」を持つにあたり、真面目に責任を感じてみた今日この頃でした。 そして、自分の抱えている仕事の未完成っぷりに(放っているわけではないが)ほとほとウンザリしてみる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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