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紀行文の構想が、まだ固まっていないので、代打に登場してもらいましょう。このネタもぼちぼちとシリーズ化の予定です。
ミカンが日本で最初に残っている記録は古事記、日本書紀です。 第11代垂仁天皇が田道間守(たじまもり)に命じて不老不死の珍果、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を中国から持ち帰らせた。とあります。 しかしこれは現在皆さんが食べているおなじみの温州ミカンではなくて、橘だったようです(ダイダイ、又は小ミカンだという説もあります)。では温州ミカンはどこで生まれたのでしょうか? 温州ミカンは学名を「シトラス ウンシュー マクロヴィッチ」といって日本産なのです。日本のどこかと言うと鹿児島県長島で、この地は古くは遣唐使船の発着の地でした。天台宗の僧が、中国は天台山のふもと浙江省の産地からミカンの種を持ち帰り、そこへ植えたのだと思います。その珠心胚実生(しゅしんはいみしょう)か突然変異が温州ミカンです。発見されたのは江戸時代なのですが、当時は種の無いミカンを食べると、子孫ができなくなると敬遠されて、あまり普及しませんでした。ちなみに浙江省の港町が温州です。面白いことに、現在、中国の温州市には日本から輸入された温州ミカンが栽培されています。 それでは、英語では温州ミカンは何と言われているかご存知ですか?「サツマ マンダリン」または単に「サツマ」と言われています。この名前の由来にはちょっとしたエピソードがあります。1889年、今から112年前の明治22年にパリで万国博覧会が開かれました。エッフェル塔が出来た時ですね。薩摩藩は西南戦争の後ではありましたが、まだ独自路線を歩んでいまして、単独で特産品を出品したのです。その時のミカンが人気を呼んでそれ以来「サツマ」と呼ばれるようになりました。日本ではサツマと言えば「イモ」ですが、アメリカやヨーロッパでは「ミカン」なんです。 珠心胚実生とは・・交配していない種から出来た品種のこと。親の良い特徴だけが現れる事がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2001年11月10日 12時30分52秒
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