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■3月7日
世紀末農民的旅日記(その1) 7時30分。JA出張所集合、一名ジャストオンタイムで出発。貸切りバスにて淡路島津名港へ。途中、綾南で一名乗車。これで15名全員揃う。 11時。津名港着。待合室で弁当を食べる。配られた弁当のパックに書かれた弁当屋の名前は「北京」。オッッいきなり中華料理か、と思ってフタを取ると普通の幕の内。ちょっと安心。 11時57分。高速艇、津名港発。雨が降り出す。 12時40分。関西空港着。チェックインの後、出発まで免税店を覗いたり、お茶を飲んだりして時間をつぶす。 14時20分。ウィングシャトルで44番ゲートへ。中国東方航空と機体に書かれた旅客機が停まっているのが見える。ボディは白地に赤と青のラインが描かれているが翼は無塗装の銀色。全然アカヌケしない機体。ちゃんと飛ぶんか、と皆少し不安になる。 15時15分。東方航空、上海に向けて離陸。さすがに機内サービスはJALやANAとはだいぶ違う。スチュワーデスは平均若くて背が高い。面白いのはチーフパーサーらしき人だけ名札を付けていて、他のスチュワーデスは皆SO275とかSO244とかのナンバーだけの名札を付けていた。 上海との時差は1時間。従って飛行時間は2時間だが到着は16時20分。1時間得した感じ。 17時10分。入国審査。団体名簿の順番に一列に並んで審査を待っていると、私たちの傍らを空港係員が片手に洗面器のような器を持って通り過ぎる。不図見ると洗面器の中は多めのご飯に野菜炒めのようなおかず。誰かが思わず「犬のご飯?」と一言。どうやら公務員の給食らしい。 空港を出るとガイドの茅(マオ)さんが「○○町果樹研究会」のカードを持って待っていてくれた。マイクロバス(運転手は張さん)に乗り夕暮れの上海へ。日中の気温は18度もあったらしく、夕方でも思ったより暖かだった。ちょうど退勤時間らしく、バスを待つ人の群れがいたるところで見られた。上海の郊外は建設ラッシュ。古い建物を壊して新しいビルがどんどん建てられている。 まずは土産物屋で両替。1万円=770元。夕食は隣の「慶郷レストラン」で鍋の中華風バイキング。ここのコックの箸さばきは見物だった。 19時50分。「シェラトン華亭賓館」へチェックイン。 20時。希望者数名で街へ繰り出す。地下鉄(2元)にて人民広場で下車。南京西路の端から南京東路を外灘に向かって散策。途中食料品店で物価調査をする。閉店近くになると店員たちが算盤を取り出して売上をチェックし始めた。スイカの種を塩辛く煎ったのや金柑を干して砂糖をまぶしたのもの、またマンゴスチンなども数個買って、再び南京東路を歩く。道端でチマキを買ってみんなで分けて食べる。これは結構美味しかった。マクドナルド(麦当労)まで来て引き返す。途中「夜光市」と書かれた屋台横丁でシューマイを食べる。これもなかなか美味しかった。人民広場へ戻ると人々が駆け足で地下鉄の方へ向かっているので私たちもそれに続いて走る。10時の終電にぎりぎり間に合った。 22時30分過ぎ、ホテル到着。マンゴスチンを切ってみんなで食べる。 零時、就寝。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2001年11月20日 00時42分44秒
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