《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

2010/05/04(火)11:12

トイレの神様

こんなことがありました(11)

朝風呂から上がると、部屋のラジオが曲を奏でていた。部屋ではいつもラジオを聴いている。この時間は文化放送「吉田照美ソコダイジナトコ」という番組だ。アシスタントの唐橋ユミ嬢がお気に入りだ。二人のおしゃべりのコーナーなのに曲が掛かっている。フォーク調の、シンプルなメロディーに、癖のないきれいな声の女性ボーカル。初めて聴く曲なのに、懐かしく心に染みていく。自分とおばあちゃんの物語が歌詞になっている。話しの展開から、こうなるだろうなと思うほうに進んでいく。このままだと泣きそうだな、と思っていたら案の定泣いてしまった。長い曲なのに、ラジオでは珍しく最後まで掛けてくれた。最後まで聞かないと意味がない曲であることが、選曲したスタッフにもわかっていたのだろう。感謝。植村花菜の「トイレの神様」という曲だった。すぐにYouTubeで聴き直すと、また泣けた。歌を聴いて泣いたのはアンジェラ・アキの「手紙~拝啓 十五の君へ」以来だ。 人は何故感動する(涙がでる)のかというと、脳の中の「共感脳」という部分が反応するからだ。ある事象に共感したときに感動が生まれる。共感の度合いによって感動の個人差が生まれる。共感できる下地を持っていない人には共感しない。この歌は、孫娘と祖母の話である。僕の脳は、僕の娘の感情になり、物語に共感してしまったということだ。義母の入院、手術の経験の中で、娘と息子はおばあちゃんへの愛情を認識した。それぞれのスケジュールであまり家に居なくなった子供達が、時間を工面して見舞いに行く。家では始終ケータイを見ているばかりで、この子たちの心はどこに飛んで行ってしまったのかと不安がらせていたが、案外家族愛も持っていた。その気持ちになって聴いてたから、涙を流すことになってしまった。 以前、中井貴一主演の映画「壬生義士伝」でも泣いたことがある。衛星放送でたまたまやっていたのを何となく見ていただけだったなのに。ラスト近く、夫の刀と髷が、妻に届けられたところ。泣き崩れるのかと思いきや、妻である夏川結衣は、実に優しい笑顔を浮かべ「ごくろうさまでやんした」とそこに夫が居るかのようにつぶやく。思わず、どっと涙が溢れ出した。つまりこういうことだ。心の奥では、僕は妻にこう言って欲しいと思っていたことがこの瞬間、表面化した。だから共感してしまった。こんなすごい涙の出方は初めてだった。僕の心の傷はそこにあったのか…。 (その後、浅田次郎の原作を読んでみたら、驚いたことにそのシーンはなかった。映画の脚本の中島丈博の創作らしい。さすが中島丈博。)

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