一人でいる時間が、“淋しい”って、どうして思えちゃうのだろう?
一人の時間がとても大切で、
とても充実できるって知っているのに、
ぽっかり穴が開いてしまった気分に
ふっと入り込む。
・・・☆・・・
その昔、
とても淋しがり屋だった頃、
パーティなどで みんなが集まってくれて
終わり頃になると、
突然一人にしちゃ可哀そうって
みんなが一斉に帰らないで
一人一人時間差で帰り、
誰かが責任者のように残ってくれるほど
凄い淋しがり屋だったけど、
とても幸せな体験と、
とても淋しい体験を繰り返し、
年を重ね・・・
今はそんな事は少なくなり、
最近では、淋しがっている時間さえないほど忙しく、
「淋しがり過ぎは、自立へのハンディキャップです。」
そんな言葉に出逢ってから、吹っ切れたはずなのになぁ。
今なんて、
淋しい気分に浸っている時間なんて全く無いはずなのに、
ふっと 誰かにいて欲しかったりする。
今、「淋しがり屋」って、字に書いて見て思ったのだけど、
淋しさを売るほど持っているっていうことなのかな?
ははは・・・
やっぱりあまりカッコ良くないな。
淋しさを売っちゃうお仕事なんて♪
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
もっと見る