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Aug 3, 2005
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今夏の長崎の原爆投下の日に被爆者代表のかたが
「平和の誓い」と題したなかで語られた被爆体験を
紹介します

ご自分の被爆体験を語られたあとに
今の争いの絶えない世界や新しい性能の
核兵器の開発がされている実情などを
取り上げられて、平和への思いを新たに
されている内容ですが
ここでは被爆体験のかしょを
抜粋しています




60年前の8月9日、原子爆弾はここの500メートル
上空で、炸裂(さくれつ)したのでした
一瞬にして数万の人々を死へ追いやり、街を焼き尽くし
破壊し尽くしたのです

生き延びた人たちは、60年過ぎた今日でも、原爆の後遺症に
苦しみ続けています



私は女学校の3年生でしたが、その日はたまたま家にいました
学童疎開で家を離れていた妹も、久しぶりに帰ってきました
ピカッと目を突き刺すような閃光(せんこう)が走ったのは
「少し早いけどお昼にしよう」と妹が疎開先から
頂いてきた白米のおにぎりの包みを開いたときでした

原爆は、私の家から1.8キロのところへ投下されたのです

私は、10メートルほど飛ばされ、庭にたたきつけられました

土煙で視界は閉ざされ、その場にうずくまりました

しばらくして視界がひらけてくると、あたりは見渡す限り
がれきの原となっていました
私は、一目散に近くの林へと走りました
どのようにして林へたどり着いたのか覚えていません
あちらこちらから被爆した人たちが林へ逃げてきました

衣服をはぎ取られて裸同然の人、胸をえぐられ、ピクピクと
動く心臓が見える人、前とも後ろとも分からないほど
焼け焦げた人、林の中はこのような人たちでいっぱいになりました
いつの間にか、私は意識をなくしていました

この林で一晩過ごし、私を捜す母の声で意識が戻りました
周囲の人たちのほとんどが亡くなっていました
私はまた意識がもうろうとなり、死線をさまよったのです

住まいが壊れて住めなくなった私たち一家は、8月19日に
両親の故郷へ向かいました

そこへ落ち着き、近所の医者に往診を頼みましたが
来てくれた医者は、息絶え絶えの私をのぞき込むだけで
「死ぬものにやる薬はない」といったとか
「医は仁術」と聞いていましたが、戦争は医者の人間性までも
喪失させるのでしょうか

あれから60年、私は何とか生きて来ましたが
本当に長く苦しい道のりでした
こんな苦しみは、ほかの誰にも味わわせてはならない
と思っています






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最終更新日  Sep 30, 2005 01:31:52 AM
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