2011/03/14(月)18:32
被爆
私の母は被爆者である。
長崎三菱造船所の裏手で育った。
もし、アメリカ軍の爆弾が、キッチリと造船所上空で爆破していたら、私の存在は無かったであろう。
父も、被爆者である。
原爆の投下後、1週間以内に長崎に帰ってきたらしい。
最近になって、これが国に認められ被爆者手帳を手に入れる事が出来た。
私の田舎では、8月9日になると、被爆の話がされる。
当然、世界平和を願ってされる話ではあるのだが、
幼い私の記憶では爆弾の怖さではなく、
その後の放射能の怖さが鮮明に残っている。
原爆資料館でも、その恐怖は感じる事が出来る。
福島第1原発3号機で被爆された方がいらしたらしい。
国の発表は「頭痛と吐き気、その他症状が出ていたが、意識もあり大事に至らない」とのこと。
少しばかり軽視しているように見え、後遺症がない事を祈るばかりだ。
人は「原子力を扱う事は、本当に怖い事なのだ」と認識する必要がある。
それにしても、地震による外観の変化は認められないのだが、
なぜ、このような事態に陥ったのかの説明はされていないように思えるのだが・・・。