カテゴリ:その他いろいろ
覚悟はしていたんですが、母に認知症が来てしまった。
以前から気配はあり、治療始めようとしていた矢先、劇的に悪化。もはや私の顔もわからない。 それどころか、長年連れ添った父の顔もすぐ忘れてしまうらしい。 頭では分かっているんですが、やっぱりショックで、それも思っていた以上にショックで、苦しい。 まだ誰が誰だか分かるうちに、家族全員で行って、みんなで食卓を囲んで、くだらない昔話をしたかった。 孫の顔をしっかり見せて、大きくなったねと言ってもらいたかった。 立派に巣立っていく勇姿を見て応戦してもらいたかった。 もっといろいろやってあげればよかった。 もう無理なんだ。 今更ながら後悔しかない。 感傷に浸っている場合じゃない。 今後どうするのか?そもそも認知症ってなに?何が必要で、どうしたらいい?全然分かっていない。 いや、これまでもなんとなく解説記事を読んではいた。でも正直、全然頭に入ってこなかった。 それが今や一発で覚えてしまう。自分ごとになっているからね。それがまた悲しくもある。 目で見てわかる 認知症ケア [ ライフケアデザイン株式会社 ] 私や兄弟が引きとって面倒を見たとして、縁もゆかりもない土地で知らない人に囲まれて幸せだろうか? もはや私は母にとって他人。初めて会う知らない人なのです。 どうせ他人に囲まれて暮らすのであれば、介助のプロがいる施設に入るのが望ましいのかもしれない。 まだ体の方は健康なのですが、それも時間の問題。 アルツハイマー型認知症の平均余命は7年とか書いてあった。最終的には体の自由が効かなくなっていく。 マンガでわかる!認知症の人が見ている世界 (健康実用) [ 川畑智 ] こうなってくると、父親はどうするのだとか、実家どうするのかとか、いや父が亡くなったらクソほど大変だとか、色んな方向に話が波及してかなり混乱してきてます。 いずれ来る話だろうと思っていましたが、準備する間もなく突然やってきた。 母が私のことを忘れ、父も一緒にどこか施設に入り、実家も処分してしまう、となると、私を形作ってきた大切な部品が一気に失われたような気になる。 私はどこから来た何者なのか分からなくなったような感じ。 いまや実家に住んでいた期間のほうが短くなってしまったけど、生まれ育ったその家は、魂が帰る場所だったんだ。 いや、まだなにも無くなってはいないけど、物質的にモノがなくなるよりも、むしろ精神的に諦めたときのほうが喪失感は大きいのかもしれない。 孝行したいときに親は無し、とは良く言ったものだ。 ほんとそう。 最後のチャンスがあったはずなのにみすみす逃してしまった。多分一生後悔する。 私を知っている母はもういない。 せめて私のことがわからなくなる前に、もう一度話をしたかった。 おかあさんと言って、ハイと返事して欲しかった。 感謝の言葉を伝えたかった。 産んでくれてありがとう。 育ててくれてありがとう。 ありがとう。 さようなら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.03 22:51:42
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