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今週は、色々なことがありました。
2月3日の節分も過ぎたので、 私もようやく天中殺の年から抜け出たようです(苦笑) 天中殺といっても、結局何事もなく、無事1年を過ごすことが出来ました。 「生かされていること、そのものが有難い。」 最近は、その実感がますます強くなってきて めでたすぎて周囲から浮いてしまうことがよくあるので、 有難い話はあまりしないようにして、 ただ感謝を心に秘めていることにしています。 それぞれの時代で、幸福と不幸の原因の特徴があります。 今の日本の幸福は何でしょうか。 戦争がないこと、めったに餓死する人がいないほど食べ物の豊かさ 日常生活に必要なもの、欲しいものはほとんど手に入ること。 ほとんどの人が教育を受ける権利が与えられていること。 などなど。 では、不幸は何でしょうか? 与えられている環境や、ものや、機会(チャンス)に感謝できないこと。 どんなものも満足することが出来ず、常に欠乏感にさいなまれていること。 助け合う仕組みが壊れてしまったために、経済的にも心理的にも 富める者と欠乏している者との差が開き、それが埋めにくくなっている。 その結果、人間通しが仲良くいられなくなっている。 などなど。 私は、今この瞬間は、心理的には富める者です。 生かされているだけで幸せだと感じる状態にいます。 具体的に追い詰められるような状況にもありません。 それでもちょっとしたことで悲しみのどん底に落ちる可能性は いくらでもあります。人生には大波も小波もきます。 人との助け合いが信じにくくなった現代の私たちは不安が強すぎて、 感謝する気持ちをもてずにいます。 不安と感謝は同居できません。 また、富めるもの同士、幸せな者同士の人間関係しか もっていないと、この豊かさが当たり前だと思うので、 不幸な人の感覚に対して鈍感になり、 自分がいかに恵まれているかもわからなくなってくるので、 幸福感を感じにくくなってきます。 確かに同じ程度の経済的なレベル、幸福感や価値観をもっている 人間同士だけで関わっていた方が、幸福で安心感があり安全です。 卑下する必要もなく、うらやましがる必要もないからです。 でも、あえて別の世界に生きている人と関わってみたり、 自分が味わったことのない不幸感に共感し、 ともに痛み、傷つくことを自分に許すと、 そのリスクや痛みと引き換えに、想像外の贈り物を受け取ることがあります。 そして自分が想像していた豊かさよりもっと別の豊かさを知ることができます。 でも自分の心の中に出来た傷はなんらかの方法で癒されなければなりません。 自分を傷つける状況やものをあえて見ることで傷と痛みをわざわざ引き受けること。 その傷を癒し、また傷ついても大丈夫な状態に回復させること。 この「痛みと癒し」とも呼べるプロセスを繰り返し、 霊的に豊かに強くなってゆくことは、 多分キリスト教の本質的な教えなんだろうと思います。 あこやがいが大きな真珠を生み出すように この心の傷からもっともっと大きな真珠(霊的な祝福)を生み出せるよう 私も取り組んでゆきたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.02.07 02:02:25
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