2005/02/06(日)16:08
私の目指すものは
目標にたどり着くまでが一番充実している。
これは、この言葉を発した時点で、既に間違っている気がします。目標というものは、たどり着くためのものではなく、そこに到達することで満たされる何かを目指す場合の里程標に過ぎないでしょう。
目指すべきものと目標は違います。例を上げてみましょう。
ダイエット...目標=体重10キロ減。
この場合、この人は体重を10キロ減らすということを目指しているのでしょうか。10キロ減らしたら、次は20キロ減らしたいと思うのでしょうか。そんなことはありません。
その人が求めているのは、体重を10キロ減らすことではないんです。求めているのは、今より美しく見えること、あるいは健康になることです。そしてそれも最終的に求めているものではありません。美しくなることで、他人に認めて欲しい、もしくは健康になることで、現在よりももっと多くの可能性を目指したいということです。そして...と、これはどんどん広がっていきます。決してたどりついて終わりということはありません。
旅行...目的地は熱海
もちろん、この人は熱海にたどり着くことを目指しているわけではありません。熱海旅行という非日常を楽しんで、夜にはおいしい料理とお酒を嗜んで、パーッと騒いで浮世の憂さを忘れ、また明日からの日常に立ち向かう力を蓄えるためなのではないでしょうか。
もちろん、その人が鉄道マニアだったり、新しい車を買ったばかりで、初めて彼女を乗せてドライブする先が熱海ということでしたら、求めていることは違ってくるでしょうが、いずれにしても目的地に到達することが目的ではありません。途中の道中、新たな知識や経験を積んで、自分の趣味生活を充実させて行くのが目的であり、しかもそれ自体が自分自身の生活を楽しむという大きな目的の一部でしかありません。
そして、自分自身の生活を楽しむということなら、これはたどりついたらどうしようなどという心配は、まったく不要になってくるわけです。生きている間はずっと続いていくことですから。
おわかりでしょうか。目指すものというのは、決してある目標を達成したからといって満たされるようなものではあり得ないのです。もし、そのようなものを目指しているとしたら、それは目指すべきでないものを目指しているということでしょう。
目指すべきでないものの例としては、以下のようなものがあります。
結婚 …愛せる人と一緒に暮らすためのファースト・ステップ
お金儲け …目指すものもなく集めるだけならゴミと変わらない
安定した生活…最終形はゾンビ
おわかりのように、上のどれもが別の目標に向かうためのステップでしかないのです。このようなものを目標にすると、目標を目指しているはずなのに、まったく楽しみのない人生をおくることになります。
つまり問題なのは、目標と目指しているものは、ちょっと油断するとすぐにすり変わってしまうということです。現に、ご自分の周囲を注意して見ると、いかに両者を取り違えている人が多いかということに気付くでしょう。
もちろん、取り違えてしまっても何の問題もありません。死ぬまでそれに気付かなければ、それなりに充実した人生を歩むことが出来ますから。でも、気付いてしまった時のダメージは大きいですよ。気付くのが遅くなればなるほど、そのダメージは二次曲線を描いて大きくなっていきます。
俺はいったい何のために...という言葉を吐かなくてもいいように、時々でいいから本当に自分の目指したいものを再確認する必要があると思います。
一番いいのは、問題点を遠慮なく指摘してくれるような親、友人、教師を常にアサインしておくことです。苦言を吐く相手の言うことに耳を傾けること。的外れだと耳を塞いでしまうことなく、毎回必ず真剣に聞くこと。
自分にとって一番価値があるのは、自分を否定してくれる人間との付き合いです。これは絶対に間違いありません。