[ま行]まみ~辞書対応版~ [あ行]あい [あ行]うえお [か行]かき [か行]くけこ [さ行]さし [さ行]すせそ [た行]たち [た行]つてと [な行]なに [な行]ぬねの [は行]はひ [は行]ふへほ [ま行]まみ [ま行]むめも [や行]やゆよ [ら行]らり [ら行]るれろ [わ行]わをん ≫まざーこんぷれっくす 【マザーコンプレックス】 …■母は人何倍も人生を楽しむ人だったけれど戦争とかあって思うような道は進めず、だから 私達兄妹に好きな人生への道を指し示してくれた人でしたが、私が経済力を持つ前に亡くなりました。 私個人はのびのび描ける環境を維持出来て周囲におんぶしなくて生きて行けたらそれで満足なので あの人が生きていたら何処でも旅に連れて行って上げたし素敵な贈り物も一杯したのに残念です。 最高の女友達でした。本当は妖精国こそ母に読んでもらいたかった作品だったなぁ・・・。 本ならおこずかいに関係なく何時でも購入してくれた人で晶子源氏物語が好きだった。(私は谷崎氏の物が 源氏は好きだけれど)与謝野晶子の心意気が好きだったのでしょう。とにかく偉大なる母に感謝。 兄があと3年で母が亡くなった歳になります。そんな母が女性漫画家さんの中でただ1人誉めていた 水野英子先生の解説を頂いた文庫がFTへの第一歩になった「はるかなる光の国へ」だったのは 何よりの親孝行かもなんて勝手に思って居ます。 (日記:2000年5月13日-5月14日) ■何しろ私も馬臼君も母親をリンパ腫で亡くしているのでリンパの不調には敏感なのだ。 母が首の腫瘍をマッサージの先生に発見された最初の年齢に到達しているしね。 蛙兄は亡くなった年齢に達したし。 ~中略~ 母が亡くなったのは56歳だったという事が判明、兄も未だ発病の歳に 到達していない事が解りました(^-^;A。何だ、亡くなった時に買い出しに 言った時に同行者が言って居た年令を鵜呑みにしていましたが間違っていました。 そーだよね37の時に生まれた馬臼君が19歳だったもんねー。 (日記:200年12月27日-12月29日) ■父という奴がどんなに御しがたい存在であったかを私は知っている。 私は絶対に選ばないタイプの男です(^^;)。思うに、古い時代の男性は、老いて 支配的な感覚で世を動かせなくなった時、幸せと遠い場所に居るしかなく。不幸だ。 でもその不幸を自覚も出来ないのは幸せなのか不幸なのか私には解らない。 父に限らず思考が絶対的なものに縛られている人間には老いは厳しい。 こんな時に亡くなった母が側に居たら、妻としてでなく対等な友人の一人として、 頭の柔らかくて社交性と美意識のあるサポーターとして、かつメゲない性格で 父を引っ張けたかも、そうすると身体は人の何十倍頑健で、大切な人達にどんどん 死なれて近年孤独だった父も、もう一寸は違ったかも知れないが、母はとっとと 死んでしまったもんなぁ(^^;)。やれやれ。 (日記:2002年2月22日) ■父は今日の午後下見に連れて行ったケアハウスで異常に立腹して入居を拒否、 心配をして話す馬臼君に「今までずっと放っておいて、今更心配しても遅い」とか暴言を ぬかしたらしい。馬鹿野郎っ!!怒髪天とはこのことだ。ふざけるなっ一番好き勝手な 人生を歩んでいたのは手前だろーがっ。母上が亡くなった告別式の夕方に、東京で仕事をする なら後は一切知らんと縁切り宣言にも等しい言葉を言い放ったのはお前のほうだぞ、父っ。 元々、母居てこその我が家であり、彼女の死によって、私は永遠に帰る場所―家―を失った とは感じていたけれど、それを決定的にして退路を断ったのはお前ではないかっ。 わしは勝手に老人ホームへ入るからと豪語していた癖に。今になって何をぬかしているのだ。 母の死後、三年目に父が再婚した時に完全に「家」は消えている。父の家が誕生しただけだ。 側近く居た馬臼くんも、この時に上京して合流したし。父上と私達の道は、あの時に完璧に 分離している。フィフティ・フィフティの関係だったはず。近年経済的なバックアップを 20年近く続けていたのは、この世に生み出してもらった絶対的な恩に対して。 愛とは違う。恩返しって言う奴。 (日記:2002年3月1日) ■今朝、本当に久々に亡くなった母の夢を観た。岡山の家に私達と一緒に、父の世話に 戻って来ていた。私が帰京する時に、母も何処かに戻らなくてはならないという夢だった。 丁度、今昼、馬臼君が二泊三日で岡山の家に戻るから安心して母も家を出たのかな。 母上は不良だったけれど、大人で情のある人だったから、父を見兼ねたのかも知れない。 (日記:2002年3月9日) ■今日は亡くなった母上の命日なのだった。デビューの翌年だったから25年前なのか? この時期は体調を崩す人も多いと思います、皆様気をつけて下さいね。 (日記:2003年9月12日) ■母が亡くなってから27年目らしい、と言う事はデビューして27年目になるってことか(^▽^)/ そういえば、あの人が亡くなったのはデビューした年だったか。前年から用意して翌年の本に載ったから デビュー翌年のイメージがあったけど、「はいどうぞ」を告別式の前夜あたりとかにも描いたんだった。 (日記:2003年9月13日) ≫まりちゃん 【まりちゃん】 …■1/10はODESSAさまの所のまりちゃんの御誕生日です。 彼女は出会いから今日で20年目…つまり成人に達したという事でした。 素晴らしい、おめでとう、まりちゃん、御二人の一年が輝く日々の連続でありますように。 (日記:2003年1月6日-1月10日) ■ODESSAさまの所の生き人形のまりちゃんの成人祝いのパーティーで、一人 修羅場を抜けて、秋葉原のドイツレストランに行って来ました。 ~中略~ まりちゃんはこの日のための、淡い桃色のお振袖姿を着ていて、とっても素敵でした。 御着物は柄の感じがアンティークな品の良い色調で春の姫君って感じでした(^▽^)/。 御店も良かったです、パンが無茶無茶美味しかったけど、いつもあんなに美味しいのかな だとしたら、パンの為だけでも又行きたくなる御店でした。丁度合唱団の新年会と 重なっていて、元もとの生演奏とあいまって、音楽が店中溢れていました。 流石…ODESSAさまとまりちゃんの選ばれた場所だなぁと感動しました。 御二人の一年がますます輝く日々でありますように(^▽^)/。少し早めに抜けましたが 帰宅したらpm11:00過ぎていました(^^;)>>ああ…ヤバイヤバイ(^^;)>>。 (日記:2003年1月11日-1月12日) ■文庫の修整中の助人すわんたちを置いて、一人抜け出し、今年最後の治療院に行きました。 帰りに、グランパパ青山店でODESSAさまとまりちゃんと合流 TEA-Factryで今年最後のお茶をしました。 まりちゃんは黒にチェックの柄を配した素敵なドレスを着て居て 素晴らしく可愛らしかったです\(^▽^)/。 (日記:2003年12月26日-12月27日) ■今日はODESSAさんちの御人形のまりちゃんの21回目のお誕生日ですね。 御目出度う~~まりちゃん(^▽^)/ !!HAPPY BIRTHDAY TO YOU!! 今朝は兎のアーサーロビンV3と亀の瑛璃々邸でお祝に駆け付けるつもりだったのに 寝る前に行かせようとしたら、突然にV3のお家が不調になって、立ち上がらなくなったので ウサギのロビンキチは置いて高速亀の瑛璃々邸だけ出発させました(T▽T)。 ますます大人っぽくなって、美しくなって行くまりちゃんの光に溢れた一年をお祝します! (日記:2004年1月9日) ■生き人形のまりちゃんは 食欲の秋なのにまたまたスリムに美しくなっていましたね。 (日記:2004年11月26日-11月28日) ≫まんがかじかん 【漫画家時間】 …■受賞者のスケジュール合わせでam9:00集合という漫画界的には常識破りな早朝に集合という、超鬼なスケジュールだったので、 「絶対に無理」と言い張って、私だけ(?)am10:30会場入りをokして貰いましたが、それでも1時間睡眠で行くことになって、 きつかったです。 (日記:2004年11月1日-11月5日) ≫まんがこうしえん 【まんが甲子園】 …■(全国高校生漫画甲子園レポート) 漫画甲子園 2002.8.8-8.9 今回はとにかくモメ捲くった大会審査だった。画面は全体的に平均値が増えていたけど 逆に際立った個性や画力の所も無い感じで、ある意味高校生らしい水準の作風がそろった感じ なのかも知れません。漫画家のプロになろうという描き手だと、高校生の頃から何気に突出し始めて いるものなので、これは漫画そのものが行き渡ってフラットになった見返りなのかも知れないです。 で、突出していないとどーなるか・・・意見が分かれるんですねー(--;)いゃぁもめたなぁ。 優勝校を決める時にも揉めました。私とはらたいら先生は毒のある今風な作品を押しましたし やなせ先生は、そういう品の無い作風はお好きでないし、牧野先生はカーツーンではありがちな作品だ という事で受け入れなかったし(カーツーンを今時の高校生がどれほど見ているのだろうか???(^ー^;)>>) そんな訳で、君達は落ちたのだよ・・・と本人達には聞かせられないですねー。ただ何とか入賞作品には 入れられたと思います。でもって、島本先生といがらし先生が押していらした所は、あまりにも画面が稚拙 だったので優勝は勘弁して頂いたという感じでした。こんな感じで詳細に書くと何かと障りのありそうな 大会だったので、何時もの様に原稿を起こせなかったというのが本音です。ちなみに来年度から校名が 統合によって失われる神奈川県の汲沢高校が三菱電機賞に輝いたのは本気の偶然でした。 というのは、全てが決するまで(特に決勝戦は)基本的に学校名は見ないで審査するからです。 衛星放送でドキュメントがあったようですね。観損ねてしまい残念です(T▽T)。 優勝校のスピーチは開戦前の一言も(初めから、いがらしゆみこ賞を目指すと言ったんだよね、 それを聞いて、私は密かに「君達、優勝したらどうするのだ?」と思ったが、その通りになったね) 楽しかったし、勝った時にも自分達の発言を覚えていて「いがらしゆみこ先生のおかげです」と楽しいものだった。 相変わらずたたずまいのセンスが良かった昨年の優勝校の東北高校でしたが、作品にはキレが無く 敗者復活戦を勝ち残るも、決勝敗退。ここがいがらしゆみこ賞になったんですよね。 作品は突出した物が観られなかった今大会ですが、高校生達は皆さま本当に頑張っていました。 ああいう姿を見ると、今の子供は・・・と括りたがる大人の目も少し考え直した方が良いよと痛感しますね。 (「秘密日記」より) ≫まんがじゃぱん 【マンガジャパン】 …■世話人会に出て来ました。事前にTELを頂いていましたが、会場に到着すると 「大変なことになっているよ」という声がかかり(^-^;)>>、 出席者の机の上に安彦先生からのFAXのコピーが・・・。 時期まんじゃぱの編集長に私を指名するというでかい文字が・・・(-_-;) さむい・・寒すぎる。着いたら既に終わっていたという感じ・・・。 まぁ・・ずるずると通信の担当をやらされていた去年よりも良いかな。 (日記:1999年2月13日-2月15日) ■しかし・・・皆様・・・物凄くきちんと原稿を描いて下さったので、実は催促は あまり・・・というか全然していません。プロのストーリィ漫画家ってマジメな人種 なんですねーーっと私が言うのもへんですが・・・本当です(^-^;)>>。 プロの同人誌とやらの編集担当修羅場が片付いてほっとしました。 しかし・・・自分のまんじゃぱ用の原稿描きが、本来のお仕事の合間に入り込んで 地獄度を増して大変だっただけで、編集としての苦痛は無かったな。 (自分が描かない様な奴には誰も原稿をくれないよなぁ・・・ということで 前回の安彦先生も今回の私も泣き泣き描きましたm(_._)mくぅーっ) 皆様・・・驚く程マジメに原稿を入稿して下さいました。 何か・・・「いわゆる好きでやっている筈の同人仲間」の原稿取りの方が 10倍も大変な気がした秋でした。 (日記:1999年11月7日-11月8日) ■今日は寝不足でヨレヨレだった。MJの大切なメッセージの代打ちもあって原稿の捗りは最悪。 MJのホームページはサーバーのハードが壊れているらしい・・・解っていたら無理に解答を 急がなかったのに。まぁ解決するのが大切だからまぁ良いか。事実誤認のまま訳の解らない文を 送って来た人達には嬉しく無いはっきりとした解答だからはやくアップされると良いな。 (日記:2000年10月12日-10月16日) ■余りにも、仕事のスケジュールが忙し過ぎるので、意を決して、FAXにて MJの事務局に一年の休会の申し込みをしたら、1~2日してS中先生から FAXが届いた。何もしなくてもイイから残るようにという依頼で、お受けする しかなかったm(__)m。あー・・・。サミットの年なのに、何もしないで在籍している 奴なんて、居る意味が無い気がするけれど、少女誌の描き手が少な過ぎるのかも。 (日記:2002年1月19日-1月24日) ≫まんがしょう 【漫画賞】 …■それに助人さん達に指定をしたら直ぐに私も漫画家協会の漫画賞の審査会のアシスタントに 出発しなければならないのだ。am11:00には家を出ました。 普段から良く買い物をしている和菓子屋さんで差し入れの柏餅と鯉幟饅頭を購入 西武有楽町線に乗るとそのまま一本で銀座一丁目に着きます。何とか1年ぶりの協会事務局に たどり着けました。アシスタント用員のすることは投票用紙配りや票の集計の手助けです。 御茶を配ったり下げたり本を締まったりという雑用ですが、審査員とは全く別の会員が 雑用をこなすという事で公正さを保つといった事だそうです(^^;)>>。 でも、久々に色んな先生方にお会いできて嬉しかったです。修羅場を抜け出しても 行って良かったと実感できる瞬間ですね。やはり道の先達の皆様の言葉に触れると気合が入ります。 ただ今日は我が家の老猫軍団(?…には見えない連中だけど)今年17歳のあんぱんが 骨腫(下顎に出来てしまって闘病中)によるダメージの軽減の為にとは言え、下手すると 命に関わる全身麻酔の抜歯の手術で朝から入院しているので、はらはらしながら気持ちも落ち着かず 寝不足のまま、朝ご飯代わりのヨーグルトだけ食べて、審査会に出かけていたのです。 でも、花村先生や里中先生達とお話していたらなにか、物凄く元気が出ました。 そしたら、審査会の現場に私の妖精国42巻も置いてあったりして(^^;)どしぇぇぇーーーっ 「今日は来るんじゃなかったーーーっ」と腰が抜けそうになりましたです。 でもまぁ、本当に沢山置いてある候補作の一つだし、「まぁ、賑やかしの参加というのも 光栄だよね」くらいに思っていました。そうしたら花村先生や里中先生が本気で押してくださって 石子先生もFT作という方向から応援してくださいまして、思わず涙がチョチョ切れそうに(T▽T) しかし1年分の冷や汗を一気にかいてしまった感じです。実際に大賞をお取りになったのは 「ゴルゴ13」のさいとうたかを先生で、これは今まで受賞していなかったのが変だ!!と思える 大名作で、凄く納得でした。賞がどうのというよりも、先生方の御言葉が嬉しくて本当に光栄でした。 実際に審査員の立場の描き手やサポーター参加のアシスタント員も受賞対象からは外されるので 可能性もほとんど無いにも関わらず、作品を読んで下さり押してくださった心が有難かったのです。 特殊なジャンルを描いているので(自分でも漫画家というよりも、漫画という表現手法を選んでいる FT描きだと思っていますので、いずれ何らかの評価が出るとしたら、FT畑での事だろうと思って いましたし)まさかあんな漫画のメインストリームで取り上げていただけるとは、予測だにして おりませんでしたから、頂いた御言葉が何よりも嬉しい勲章です。…ってアシスタントしていたから 御話を聞く事が出来たので、超ラッキーですね私(^^;)>>。でも同時に「本当に見の置き所が無いというのは このことだ」という時間ででもあり、厳しかったのも事実です。だって壁の票数用紙に自分の名前を 書くんですよ(T▽T)うへーーっ。ちなみに今年の文部大臣賞には、わたなべまさこ先生が選出され 少女漫画に属する人間にはとても嬉しい出来事でした。亡き母が水野英子先生と並んで大好きだった 先生です。ちなみに超辞退なさる先生を「おめでとう」攻撃で逃げ場を瞬く間に塞いでしまわれた やなせ先生と佐川先生の手腕も御見事でした。素敵な先輩が沢山居るって幸せな事ですね。 (日記:2002年5月6日-5月7日) ≫まんがのかみさま 【漫画の神様】 …■そういえば此の間の仕事中に久々にW氏からTELがありました。 ~中略~ 漫画家W氏と彼は旧友なのですが・・・何と二人で近い内に偉大な某M先生の2作品を 一冊の豪華本にして出すというのです。きゃぁぁぁーーーっ\(^▽^)/嬉しすぎるっっっっ。 (漫画家W氏の事は双葉文庫の「銀青色の伝説」の解説を読めば解りますよ(^-^)/。) 映画がオリジナルなので脚本の著作権に引っかかって日本では後・・・35年位出せないので、 彼等は同人誌で出すつもりなのです。発行部数が限定少数部というだけで商業ベースの物と同じ水準で 出すそうです。(利潤無しです)片方のW氏が出資して編集のW氏が無料で編集作業をして 既に某先生(手塚先生と並ぶ程私には神様)から直接許可を得てお手元に残っている原稿は 借り出したとか(^▽^)/。ああ・・・夢のようなお話だぁ(TへT)・・・。 ~中略~ 漫画馬鹿少年達の情熱は何歳になっても生きていて自分達の人生を変えた悪書(褒め言葉) を復刻しようとしています。(私も少女漫画家を目指したのは某先生の作品にはまり込んだ所為) 素晴しいお話しではありませんか?もう馬鹿馬鹿しい程の発案と実行\(^▽^)/っ。 私は久々に漫画好きの人間の本当の姿を見た気がして清しい気持ちになりましたです。 (日記:2000年2月24日) ■一つ物凄く嬉しい事があったので書き込みします。 私にとって手塚先生トールキン氏と並ぶ神のお一人の水野英子先生が「はるかなる光の国へ」の文庫の 解説を書いて下さる事になりました。手塚先生の漫画が無かったら漫画を描いては居ませんでした。 水野先生の作品が無かったら少女漫画を選んでは居ませんでした、トールキン氏と巡り会わなければ 魂の故郷にFantasyの名前があることを知りませんでした。そんな方なのです。 解説は私個人にとって御神託といった感じです。生きていて良かったなぁ。 (日記:2000年3月14日) ■個人的な・・・一番の収穫は・・・同行漫画家の先生方の中に、のぁんとっ、 大尊敬する水野英子先生がいらっしゃった事でしょう。石ノ森プロからの直接のお招きで参加なさってらして、 行き帰りと宿泊を私達MJの一行と合流されていたのですが、最高のチャンスでしたので ここはっとばかりに文庫の解説のお礼を申し上げました。作品の事も覚えて下さっていて感激でした。 御挨拶した時に私が余りにも緊張しているので、ちば先生に 「この人がこんなになっているのを見たことが無いよ」と笑われてしまいました(^-^;A。 確かに私は滅多に上がらない性格なのですが、ちば先生と初めてお話した時も負けない位緊張していたのになぁ。 水野先生とお話した時は久々に本気で緊張しましたが、・・・行きの新幹線やバスの中で 手塚漫画の事とか色々とお話ししました。ジャングル大帝のレオの最期のお話とかアトムのお話とか。 トキワ荘のお話とか本当に色んなことを・・・。 (日記:2000年7月19日-7月22日) ■とにかく里中先生から私の世代まで、少女漫画家に多大なる影響を与えた水野先生の素晴らしい世界を 1人でも多くの方に観て頂きたいです。デビュー当時の青池先生も池田理代子先生も画面そのまま水野先生でしたよ。 (日記:2000年10月6日) ■水野先生の原画・・・もの凄かったです。物凄すぎて私も一緒に行った助人さん達も 昨日は観終わったらエネルギー値ゼロになっていました。それ位に凄い。 ~中略~ それにしても・・・あの物凄い完成度の原稿の数々を直接手にとって拝見出来たのは奇跡のようでした。 「素敵なコーラ」の時代の原稿はタッチも美しく暖かくチャーミングで、しかも今の時点で拝見しても 手直しする場所が全く無い程の画面構成であり画力でしたし本気で無駄も無いし不足も無い凄い原稿です。 (昔の原稿でこういう物は稀少ですが、水野先生は女手塚治虫と言われた天才だけにあの若さで恐ろしい画面でした) 私が最も懐かしいのはこのロマコメ時代から「白いトロイカ」のドラマティック浪漫の頃の作風です。 しかし「ローヌ・ジュレエの庭」の頃の後期の作品は想像を越えて恐ろしい世界でした(誉めています)。 呪術の様なテンションで虚無がそこにあり、観る者を否応なく取り込んでしまうという感覚で体温が下がる程に 美しく酷く純度高くそら恐ろしいのです。あれは大衆向けでは無い領域に行ってしまっているというか 描き手か描き手予備軍か深い読者(超マニアとか超ファン)でないと受け止めかねる程の領域というのかも知れません。 (日記:2000年10月7日) ■そして水野先生の完璧さ。 本当に今観ても、その時代時代でパーフェクトな原稿群なのです。ただため息。 馬臼君は白いトロイカの原稿を奪取して逃走しそうな勢いでした。私達にとって 白いトロイカは聖域中の聖域だもんねー。とにかく凄い原稿でした。 ~中略~ 水野先生にサインを頂いて、お話しも色々とさせて頂いて、3兄妹感涙の極みでした。 (本当に泣いたのと震えていたのは燕君一人です-私も兄蛙も上がらない厚かましい体質(^-^;A- 蛙にいたっては、とりあえず会って話して上がる相手が思い付かないなとど言いました。) (日記:2000年12月1日-12月2日) ■思い掛けないというか、会場で手塚悦子さまと少しだけ御話をさせて頂きました。 「手塚治虫先生は20世紀の日本が生んだ最大の宝物であり、天才だと思います」という事と、 「もしも先生がいらっしゃらなければ、漫画家になっていなかった」という御話をお伝えしました。 (日記:2001年2月6日-2月7日) ■水野先生とも御一緒出来たので、先日の展示会の御話をしたりして実り多かった。 とにかく、手塚先生と同じ様な神様のような方なので背筋が伸びます。 (日記:2001年7月16日-7月23日) ■昨日の夜、尊敬する水野英子先生からのFAXが届いて、チョー緊張しました。 「鳩よ!」をお送りしたのへの御礼のメッセージと、4/12に発行の御本(白いトロイカ2巻) の後書きを書かせていただいたのを、お読み下さり、喜んでくださったという安心な内容だったん だけど。やっぱドキドキものでした(^^;)>>なんたって手塚先生と同じく神様みたいな存在ですから。 (日記:2002年3月30日-3月31日) ■水野先生の世界に入った日(2巻目には私も解説参加) 最初の出会いは、多分「銀のはなびら」で、私は限りなく幼い子供でした。 特別な漫画であった手塚作品を始めとする、同系列の絵柄から発展した超好みの絵で、 (子供にとって、トキワ荘の皆様の作品は手塚一族の作品群のように見えていました) しかし、好きで読んでいた男性漫画家さんたちの描かれる少女漫画と、 水野先生の「銀のはなびら」は、何か言葉にならない決定的な違いがありました。 コマから押し寄せる情感。意味も解らず圧倒され、ドキドキしました。 何がどう、他の漫画と違うのか…。おそらくは浪漫の匂い。恋に発展しうる情念の内在。 ヒロインとヒーローは兄妹のはずなのに、ラプロマンスの香りがありました。 不思議だ…とは、実際に兄を持っていた、私が抱いた疑問でもありました。 今思うに、限りなく恋愛に近い親愛の感覚は、当時、ぎりぎりのチャレンジではなかったかと、 勝手に推察しています。物語のおしまいに至る頃には、「実際に彼らは…で」ありましたし。 水野英子という御名前が、私にとって特別のものになるのは「星のたてごと」との出会いでした。 幼すぎた身の上では、記憶は飛び飛びの上に曖昧で、ただただ「世にも美しい作品があった」という 大げさに言えば、神話に近い思い出として。 例えば、最後の二人が乗った船のコマは一頁サイズの大ゴマで記憶されていたりするのですが、 後日コミックスで読んで、コマのサイズの小ささに仰天しました。 実際のサイズはどうだったのでしょう?今も気になる所なのです。あれは単なる、子供の目の クローズアップ力による記憶の違いなのでしょうか???未だに不思議でたまりません。 小学校の5~6年時に、週間マーガレットに連載された「白いトロイカ」は、私にとって 今も最高の少女漫画です。いや、あの作品は完璧です。あれをリアルタイムに読ませて頂いた というのは私にとって至上の幸運の一つだと思っています。 2002年現在も、多分おそらく、こういうものを常時、多くの少女達は欲していると思います。 水野先生の白いトロイカが私を少女漫画家への道に向かわせました。 そして遡って「星のたてごと」がファンタジーへの入り口になったのだと思っています。 「ファイアー」での魂の声の表現者の道、ローヌ・ジュレェの瞳の奥の凍結した虚無の体感など 書き始めたらきりがない程の沢山の道標を先生からいただいています。 映画「ロード・オブ・ザ・リングス」の原作であるJ.R.R.トールキンの「指輪物語」が FTのバイブルであるなら、水野先生の作品は浪漫物語のバイブルであると断言できます。 今回の出版の機会に、一人でも多くの人が、この素晴らしい作品世界を旅して下さいますよう。 だって、私達の目の前にあるのは、竜の守っている宝石の山に匹敵するのですから。 中山星香拝 (特別なニュースのページ号外編「水野英子先生の名作の数々が復刻します」より) ■水野先生とも再会。 解説の件で御礼を言って頂いて(^^;)>>ぎぇぇぇーーーーっと超恐縮でした。 めがねをかけていなくても水野先生のシルエットは一目で解る辺り私も超ファンだなぁ。 (日記:2002年6月12日-6月14日) ■漫画サミットは今回はパスするつもりでしたが、父の具合が凄く良くて安定しているのと 水野先生の少女漫画黎明期の講座があるという事なので、出席を決めました。 ~中略~ でもって、水野先生から頂いた御手紙に中国新聞のプリントアウトが同封してありました。 私が「白いトロイカ」の解説に書かせていただいた一文が抜粋されて載っているという事で わざわざ送ってくださったのでした。うううっ(T▽T)有難うございます、書かせて頂いた だけで、本当に光栄の極みでしたのに。でもって、今回の「白いトロイカ」以下の配本の 売れ行き次第で、今後の「セシリア」他の発行が実現するかどうかが決まるというお話です。 皆様の周りで未だご存知無い御友達に是非、水野作品をご紹介下さいませ。 最高の形の少女漫画がそこにはありますから(^▽^)/。 (日記:2002年9月26日-9月27日) ■何と、今日は鉄腕アトムが生まれる日です。感無量。彼は最初のヒーローで心の中の最高の宝物です。 (日記:2003年4月7日) ■明日はpm3:00から 表参道の水野英子先生の展示会に行きます。実は水野先生から御連絡を頂いて 和田慎二氏と共に待ち合わせをしているのです、ドキドキ(^▽^;)>>。 (日記:2003年10月31日) ■水野先生とご一緒して 和田慎二氏の待つ、近くの茶店に行き軽い食事とお茶をいただきつつお話をしました。 実は私の分の御本は先生が下さったのですが、購入分も入れて全部で6冊分\(^▽^)/、 宛て名とサインをして頂いてしまいました\(^▽^)/。水野先生のファンの方が中学生の お嬢さんと展示会にいらしていて、丁度間が合ったので私達と一緒にお茶をご一緒しました。 気合いの入ったファンの方で物腰も上品で流石、先生の愛読者さんだ~~~っと感動\(^▽^)/。 (何か、後日、あの日の同席のお礼に・・・と、美味しいチョコを送って下さいました、でも 作家と読者じゃなくて、私も和田氏もあの時は同じ水野先生の読者として、光栄にも、先生から 直でお誘いを頂いた同士として卓に着いていたので気になさる必要など全然無かったのに(^▽^;)>>) 作品を発表して行く上での苦労話やら、読者だった頃、引っ掛かっていたお話とか色んなお話を させて頂きました。 (日記:2003年11月1日-11月3日) ■私の作品は「魔法使いたちの休日」ですが 和田先生と二人で水野先生のお作を囲ませて頂くという栄誉に預かっております~~(^▽^)/ 書店にお出かけの際には少し大きめなコミックスの置いてある場所にも是非足を延ばして BIRZコミックスデラックス「猫のファンタジー2」も探し出して下さい(^▽^)/ (日記:2004年2月19日-2月24日) ■この間復刊した水野英子先生の「セシリア」と「ハロードク」をnet購入して、それが届いたのです。 早速読みました!!!素晴らしい~~~!「せシリア」は謎の少女が時を越えて運命の恋人と邂逅を果たす お話ですが、今回の二冊を拝読して確信の上にも確信しました!水野先生の作品こそが時を越えている!! (日記:2006年6月4日-6月5日) ■昨日から神保町で水野先生の複製原画即売展示会が始っています。私も7/10には一人修羅場を抜けだして、 茶話会に御邪魔する予定です。取り敢えず美容院で髪を何とかしなくては。 ~中略~ 7/11、昨日、ひとり夕方から抜け出して水野先生の茶話し会に行って来ました。ド修羅場中なので一刻も惜しくて、 お話会が終わったら即帰宅してお仕事だったけど、素晴らしい復刻原画が沢山飾ってあったのもちゃんと 見られなくて残念だった。締め切と重なると厳しいなぁ。 (日記:2004年7月8日-7月13日) ■文部科学大臣賞には水野英子先生が選ばれたの ですが先生御自身の辞退で今回は見送りになり残念でした。未だ描きたい作品を形に出来ていないから という理由が如何にも漫画人生な水野先生らしくて素敵です。 (日記:2005年5月10日-5月14日) ■ODESSAさんの所に お祝に伺ったら、手塚真さんとお話中で紹介を頂くけど、つい手塚先生のお話をしてしまった 御免なさい(T▽T)、どうしても手塚先生だけはトールキンと共に別格なんです(T▽T)。 (日記:2006年7月7日-7月9日) ≫みかんせいしんさくはっぴょう 【未完成新作発表】 ■今朝は新作のキャラ表の 方に取りかかっていて、連載の方のネームを進行させ損ねていたからな(^-^;A、しかも全然 気に入らないキャラ表の状態だし・・・やっぱ妖精国にかなり得意ジャンルのキャラ型をつぎ 込んだので、新しい方向性で煮詰めるのは難しいなぁ。でもやらないと(^-^;A。 一番頭が痛いのは衣装設定かも・・・お洋服が楽しみで漫画を始めたメルリンがうらやましい。 巧く完成出来たらコミックス2册位で描き切れる読みきり連載向きのお話が完成するんだけど キャラ表と世界表が気に入らなかったら、アーサーロビン初代のお話の方を先に描くか・・・。 あれなら今描いているキャラが半分は出るし描き易い。できれば別方向のお話を描いてから あっちはやりたいんだけどな。花冠の新作も合間に単発で描きつつリフレッシュしてから 初代に取りかかれたらベストだと思っています。 (日記:2006年2月6日-2月10日) ■題名:かくのはまだまだ先の話なのですが^^; ゾーイと言う名前、通称ゾウちゃんと言う名前の翼猫が出て来るのですが…メロンがモデルなので、つい描きたくなってるんですねー。でもヒロインもヒーローも巧く二次元に降りて来ないです。ローリィは20年かかったからなぁ^^;。 (発言日時:2006.2.11 / 7:54 AM) ■★暫定的に翼猫と呼び名にしていますが、ゾウちゃんは犬サイズの猫で花冠の世界の生き物ではありませんよ、新世界をお楽しみに ★私も複雑ですが、今は出来る限りの力で妖精国を描き切る今年か目標に無いですねー、 新作は数年前から寝かしている物で気分転換にお遊びがてらやっています (発言日時:2006.2.19 / 3:20 AM) ≫みくしぃにっき 【mixi日記】 【三串日記】 …■なかなか終わらない連載漫画の終盤の原稿と日々戦闘中、あと少しになってからが長い・・・ 練馬の一角に太った黒猫2頭と暮らしています 只今、マイミクの相互登録は実際お会いした事のある方に 限定させて頂いてます\(^▽^)ノ 締め切りの合間の眠気覚ましにちょこっと日記書くくらい (mixi自己紹介欄より) ■今朝久々にノートPCを立ち上げて色々と見回ったら、友人間連絡用のMixiの頁に 紹介文というのが初めてくっついてて、しかも大々好きな作家様のだったので凄い嬉しかった 兄蛙から呼ばれて入ったので、当初良く解らなかったけれど、お友達と日々の情報を交わすには とっても手ごろで安全で楽しいシステムだな、携帯で合間にちょこっと観られるし書ける。 (日記:2007年1月20日-1月22日) ≫みつるぎべあ 【三剣ベア】 …■ギャラリー兼喫茶も兼ねている会場でODESSA様と まりちゃんにお会いしました。妖精国ベアと会って頂くお約束を果たす為にも。 まりちゃんは皮のジャンパーも似合っていて素敵なレディでした\(^▽^)/。 お話出来て楽しかったです。クマのローリィ達も喜んでいました。 (日記:2001年11月2日-11月3日) ≫みつるぎものがたり 【三剣物語】 …■因に四話目は「アルディアの炎」です。 詳しく書くと「三剣創世」はリンガル君とヴァルナイ君とニュトのお話 タイトルは連載が始まったら決まるでしょう(^-^;)/。 ローゼリィ物語が「妖精国の騎士」に玉葱戦士が「はるかなる光の国へ」になった様に。 四話は女性なのにソレスの騎士に生まれついてしまうアルディア姫と既に人の世に無くなっているのに ルシリスの騎士に生まれつく姉姫のお話です。 (発言日時:99.7.2 / 6:12 AM) ■光の剣 ルビ”ルシリス” 創始の星を象った魔剣。 人の子の王が創り、不死の民である 白妖精の乙女の死によって完成した剣であり。 その成り立ちゆえに光と闇の魔力を持つ。 凶運の剣とも呼ばれ、選ばれた女性のみが その左手によって抜き放つ事が出来る。 束の所に創始の星石の青い石(サフィール)が はめ込まれている。 銀の剣 ルビ”シルヴァン” 銀月を象った魔剣。鞘に新月から満月までの 月の姿が象られている。銀月の魔力と呼応して 大いなる力を発揮する。白妖精の王が人間の王に 贈った二振りの魔剣の内の一つ。選ばれし男性の 右手のみにて鞘から抜き放つ事が出来る。 陽の剣 ルビ”ソレス” 陽を象った魔剣。創始の星石の一つ緋の石である 紅石(リヴィール)の子供石が束や鞘など全体に 組み込まれている。陽の魔力と呼応し合って 大いなる力を発揮する。白妖精の王が人間の王に 贈った二振りの魔剣の内の一つ。選ばれし男性の 右手のみにて鞘から抜き放つ事が出来る。 (日記:2001年4月24日-4月25日) ≫みどり~む 【美夢】 …■題名:読者はみ~んな鬼畜そして作者は?! 鬼畜の皆様へ。 店長って「ばけもの」なんですぅ。 傷はあっと言う間に治るしぃ、 自動車に跳ねられてもピンピンしてるしぃ、 何よりあの〆切漬物!! ふつーの人間なら生きてゆけないってばっ!! ばけものの地獄は鬼畜の天国♪(ワタシってド鬼畜!?) (発言日時:2001.10.3 / 8:55 AM 発言者:美夢) ≫みやこおち 【都落ち】 …■修羅入りしました、先月さすがに凄い遅れ方をしたから、ちょいヤバメだなと思って居たら、 編集長様が担当様と共に駅の側の茶店までいらっしゃいました(^-^;A。内容は色々あったけど 本当の所は担当替えと連載の別誌への移行の打診だった。直にでは無いけど、 多分、秋頃を目処にしてサイズの小さい本の方に行けというお達しだ。遅れたうんぬんと言うよりも 完結に向けて驀進中の連載では新しい読者が呼び込めないと言うのがあって (終わるように無理クリ進めるとそうなると思って居た通りに、そうなったし、 そうなったらなったで許容はされまいなと思って居た通りになったなぁ(^-^;A) それに関しては実際その通りなので返答の仕様が無いって感じです。 切られなかっただけ、めっけものかな。B5画面で観て貰えなくなるのが大変残念。 予定の雑誌は3カ月連続出て、1カ月休み、3カ月続いて、1カ月お休みだそうで、 今よりは大分身体が楽にはなると思えるな。実際ネバーエンディングな原稿なので、 経費が凄くて描けば描くほど貧しい状況だったから(^-^;A。 最近のぱつんぱつん状態からは脱する事が出来るかも知れない??? とにかく秋以後だとは思います。長かったなぁP誌。デビューの翌年からだから。 そもそもnonstopって言われているけど、それは連載しているから目立つだけで、 短気集中連載、前後編、読み切りをやっていた時もずっとぶつ続けで描いていたから (本誌休みの時は増刊に読み切りをきっちり描いていた、下手すると月に2~3本(^▽^;)>>) 初めてまったりペースになるのかも知れません。まぁ先のことは考えても仕方ないので、今迄通りに 毎月の原稿に全力を尽くすのみ。頑張りますね、描ける事が何よりも大切です(^▽^)/。 (日記:2004年6月1日-6月3日) ■もしかしたら、妖精国の騎士の画面が B5版サイズで見られるのは 後、数ヶ月かも知れません 一寸(50)巻完結は 難しそうなので≪アセアセアセアセ≫ 発表場所が 別の雑誌にそのまま 移ることに なるかも知れません B5を想提して 描かれた画面…見られる内に 是非是非 見ておいて下さい もしかしたら、この秋か…冬あたりに なるのかな…決定したら…また お知らせPaperを出しますね (2004.6.2発行「ねり通2000」35号) ■応援のお言葉有り難うございます\(^▽^)/。実際、その日が来るまでというか 来た後もですが、とにかく全力を投じて描き続けていきます。 本が変わることは、サイズダウンしてしまうという以外には大してショックでは無いのですが それというのも、長らく連載と共に歩んで来て下さった皆様に対する揺るがない信頼の賜物だったのだと 今回確信致しました。サイズが想定されたベストサイズである内を逃さないで味読して頂けば幸せです\(^▽^)/。 (発言日時:2004.6.5 / 9:44 PM) ■6/5、今日は亡くなった母上のお誕生日だ、そしてプリンセスの発売日でもある。 後少しでこの本ともお別れかと思うと気分が妙に沈んで来る。哀しいと言うのとはちょいと違うんだけど。 あの時に元気を出す為に買って帰った、鮮やかなレモンイエローのヒマワリとカラーと白緑色のカーネーションが 玄関で素晴らしく美しく咲いています。大切な作品をやれる限りの力できちんと完結させるのが何よりも大事な 事だと思う。頑張って行くしか無いな\(^▽^)/。描けるだけで幸せな作品を描かせて貰える作家は稀です。 (日記:2006年6月4日-6月5日) ■2Fに居る時に留守電が入っていて、聞いてみたら編長さまだったので吃驚(^-^;A。 近い内に新担当さまを御連れになって御挨拶にいらっしゃるそうだ。新しい担当様は体育会系の 男性の方だそうです。この長いお話を全部読んで下さるのは大変だったろうなぁ。 [なんかあれ以来ぷりんせすが遠いよなぁのとあまちゅん] ←6/14「今日の一言」隠しメッセージ。 (日記:2004年6月12日-6月14日) ■来月は、カラー扉とオフセットが付くらしいので また締め切りが早いので大変みたいです。だけど、本を移されるって聞いた時からカラーとかは付かなくなるのかなと 思って居たので、マジで意外でした。しょぼしょぼな感じにさせる気は無かったのかな(^-^;A。いや甘い考えか。 とにかく今は出来ることを頑張って行こう。 (日記:2004年6月22日-6月26日) ≫みらいにっき 【未来日記】 …■今日はエクタは朝から起きて(あんまり眠っていないとも言う(^-^;A)漫画の日大賞の 審査会にお出かけして来ます、こういうお仕事の辛い所は漫画家の生活パターンを無視した 進行スケジュールになるところですね(T▽T)シクシク [普段寝る時間の1~2時間後に起床だもんなぁのとあま天] そんな訳で僕の一言も少し早い時間に更新することにしました、原画展と画集の用意は進行中 連載原稿の方もそろそろと始めています、今月も大変な月になりそうです(^-^;A [あんまり変な格好では行けないからそれも悩みの種ですのタマオ天] (今日の一言:2005年9月9日) ■9/9、今日は朝から起きて(あんまり眠っていない(^-^;A)漫画の日大賞の審査会にお出かけして来ました。 こういうお仕事の辛い所は漫画家の生活パターンを無視した進行スケジュールになるところですね(T▽T) 余裕ででたつもりで居たら、記憶の11:30じゃなくて11:00からだったらしく、如水会館に着いた時には 大賞の審査は終わっていました、嘘~~~ん(T▽T)。漫画の日文化大賞の方だけ参加して戻りました。 (日記:2005年9月8日-9月14日) ジャンル別一覧
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