長編時代小説コーナ

2006/06/26(月)10:31

うわばみ新弥行状譚(34)

「うわばみ新弥行状譚」(100)

 鍬次郎は奔走に疲れ果てた。そんな心の隙をついて一之進が接近してきた。 「加藤、いよいよ上府じゃな、わしも江戸に上ってみたい。どうじゃ、お主の上府 を祝って一献やらんか」  鍬次郎は乗り気がしなかった。日頃の一之進の態度や、新弥を陰湿な手段で 苛めた(いじめた)悪評は知っていたが、執拗な誘いにのってしまった。魔がさ したのだ、これを境として地獄の生活が始まるのであった。  一之進は檜垣屋で鍬次郎を接待した。贅(ぜい)をこらした部屋で二人は 酒を酌み交した。(これでわしも石垣一派か)一之進の魂胆は見抜いていたが、 今の鍬次郎にとっては、どうでも良いことであった。  勧められままに強かに飲んだ、日頃の気苦労が氷解する思いであった。 「ところで加藤、この檜垣屋には面白い趣向がある」  一之進が興味を煽るような口ぶりで告げた。「・・・・・ー」 「賭場が開かれておる、今夜もある筈じゃ。一度、手なぐさみで遣っては どうじゃ」「貴方さまは?」 「わしは飽いた。お主ひと勝負遣って参れ」狡猾な誘いであった。  酒の勢いもあったが、彼は金が欲しかった。 「六蔵、加藤殿を賭場に案内(あない)いたせ」「へい」何時の間にか六蔵が愛想 笑いを浮かべ控えていた。 「加藤、ゆっくり楽しんで参れ、わしは飲んで待っている」  一之進の巧妙な誘いにのり、六蔵の案内で賭場に向かった。六蔵が振り返り、 ニヤリと不気味な笑みを残し、鍬次郎を伴って部屋を去った。残った一之進は 冷えた酒を咽喉に流し、奴の妻女は頂きじゃな、と口中で嘯いた。  一刻半(三時間)ほど経って廊下に足音が響いた。 「やれやれ、ご運の強いお方じゃ。お蔭で賭場は散々じゃ」  六蔵が大声で愚痴をこぼし、二人が戻ってきた。鍬次郎の顔が興奮で赤らんで いる。 「一之進さまのお連れになられるお方は、今後お断りいたしますぞ」  鍬次郎が冷酒を湯呑みに注ぎ一息に飲み干した。「勝ったのか?」 「勝ったなんてものではございませんよ。はなっから一人勝ちです、これでは 盆がもちませんよ」六蔵も冷酒を呷り、まだ愚痴っている。 「加藤、だいぶ檜垣屋を痛めつけたようじゃな、いくら儲けた」 「およそ五両ほど稼がせてもらいました」「それは大金じゃ、六蔵っ痛いの」 「今夜の儲けがふいになりました」六蔵が赤鼻を光らせ嘆いた。 「たまには良いではないか、加藤は我が一派の藩士じゃ。今後も宜しく頼むぞ」  上府にはまだ金が必要じゃ、味をしめ内緒で忍んでくるであろう。  一之進が素早く胸算用をした。鍬次郎の賭場通いが始まった、檜垣屋からの 知らせである。とうとう餌に喰らいついたか、これで奴の妻女は頂きじゃ。  一之進と六蔵はほくそ笑んでみている。鍬次郎の意気込みは直ぐに空転した。  初めは巧く勝っていたが、あと少しで上府のお金が手に入ると思った矢先に、 大きく負けた。これが彼等の手であった。六蔵のいかさま博打で今まで稼いだ 金はすぐに無くなり、六蔵に借金を申し込んだ。 「直ぐにまた運が戻りますよ」六蔵は笑顔で鍬次郎の言うままに金を用立てた。  益々、悪循環にはまりこんでいった。 うわばみ新弥行状譚(1)へ

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