長編時代小説コーナ

2009/01/25(日)15:24

尚武の家、上杉家。

直江兼続(9)

             「上杉景勝と兼続の最後の合戦」(三)  あの日、小山の家康の本営がなんとなく慌しく感じられた。  そうした最中に石田三成より火急の使者が訪れ、関ヶ原の挙兵の報せが もたらされた。今こそ好機と兼続は主人の景勝を訪れた。 「殿、家康は撤退しますぞ、狸が動きだしたら追撃に移りましょうぞ」 「兼続、わしは軍勢を動かさぬ」  景勝が信じられない言葉を吐いた。 「何故にござる」 「・・・・」 景勝は髭跡の濃い顔を厳しくしたまま虚空を睨みすえている。 「今が、好機にござる」 「背中を見せる敵勢を我が義父(謙信)ならば、どのように扱うかの」 「・・・」 直江兼続は、それを聞いて言葉を失った。 「よいか、家康が小山を転進いたしても、我が上杉は一兵たりとも国境を踏み 出してはならぬ。これはわしの厳命じゃ」 「無念」 と直江兼続は思った、追撃戦なれば間違いなく勝てる。  東軍の徳川勢が西に向け動きだしたが、上杉勢は景勝の厳命で一歩も動か なかった。上杉勢三万の精鋭はついに長蛇を逸したのだ。  最早、天下を争う時代は終った、そう思いながら景勝は去り行く徳川勢を見つ めていた。あの時の思いは、追撃を進言した兼続と、それを許さなかった景勝 も同じ考えをもっていたのだ。  二人には次ぎの天下人が、誰であるかはっきりと判っていたのだ。  太閤秀吉の天下を継ぐ者は、上杉景勝でもなく、まして石田三成でないこと を、天下の諸大名を帰服させる事の出来る器量人は、悔しいが徳川家康しか いない。これは衆目の認めるところであった。  敵が背中を見せるところを攻めるなんぞは、義を尊ぶ謙信公以来の武の 家柄の上杉家は出来ない。そう景勝は云った、その景勝の胸中は兼続は手に とるように分っていた。  石田三成が糾合して味方に引き入れた諸大名の、大半が徳川家康に調略さ れている事実は、江戸留守居役の千坂景親から逐次報告がもたらされてい たのだ。もし石田三成が勝利を揚げても、それは一時の事で再び戦乱の世に なることは明白であった。  直江兼続は景勝の意を汲み、軍勢の解散を命じ景勝と若松城に退いた。  酒好きの景勝は居間で大杯をかたむけている。  その前で兼続も杯を口に運んでいた。  あいも変わらず景勝は漬物を肴としている。 「殿、何故に兵を引きました」 「わしは合戦においては内府に負けぬ自負はある、じゃが治世の腕前は到底、 内府には及ばぬ」 景勝は悪びれた態度もみせず言い放った。 「そのようなお考えでございましたか」  そう応じながら兼続は、景勝が己の分をわきまえる態度が嬉しく思われた。 「ならば、次ぎの策を練らねばなりませぬな」 「兼続、関ヶ原の合戦は長引こう、わしは曲者の伊達政宗を攻める覚悟じゃ」 「会津の背後を脅かす曲者、面白うござる。だが最上攻略が先にございます」 「分っておる。そちが総大将となって最上義光の本城の山形城を占拠いたせ」  景勝が沢庵漬を口にし、小気味よい音をさせた。                                 続く 

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