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Jan 24, 2009
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カテゴリ:直江兼続
 

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      「上杉景勝と兼続の最後の合戦」(二)

 直江兼続はその地で軍容を調え、景勝の閲兵を仰いだ。

 先手勢は黒金孫左衛門、須田大炊介(おおいのすけ)、安田上総介、

水原親憲。その後に上杉家の誇る宿将等二十名余が騎乗し家士を率いてい

た。景勝は甲冑姿で床几に腰を据え、青竹を片手に剽悍な眼差しで見つめて

いる。小旗差、鉄砲隊、槍隊、弓隊、御手明組が隊列をなして陸続と連なり、

その周りを屈強な騎馬武者が固めている。

 なかでも異彩を放っているのは、兼続の直属の与板衆であった。

 この合戦の為に、上杉勢は七百挺余の鉄砲隊を参加させていたが、この中

に兼続が特に目をかけ育てた、大筒組の黒光りする、火縄銃五十挺の偉容は

辺りを圧倒する迫力があった。

 何故に上杉勢がこのような鉄砲隊を持っていたのか。その訳は上杉家が

会津より米沢に転封された時、兼続はかねて上洛の際に密かに接触してい

た、近江の国友村の吉川惣兵衛、和泉堺の和泉屋松右衛門の二人の鉄砲

張師を、二百石という高禄で召抱え、城下から四里の吾妻山中の白布(しらぷ)

で鉄砲の密造をさせたのだ。

 慶長九年には千挺の鉄砲を製造した。この年は家康が江戸で幕府を開いた

翌年であり、何ゆえに兼続が急いで作る必要があったのかは疑問である。

 伊達政宗や最上義光の侵攻に備えたものか、あるいは徳川方と豊臣方の

決戦が勃発すると予見してのものか、兼続の胸中は謎であった。

 この白布で製造された火縄銃の種類は、十、十五、二十、三十匁であった

が、兼続は五十匁の大筒も作らせていた。この匁とは弾丸の重量の事で、

十匁の場合は、三十八グラムと云うことになる。

 この当時の大筒とは、五十匁以上をそう呼んでいた。

 こうして上杉家の大筒隊の偉容は諸大名の鉄砲隊を凌駕するものであった。

 兼続は愛用の薄浅葱糸縅最上胴具足を纏い、黄金の愛の字の前立て兜姿

で景勝の脇に控えていた。

 具足の音、馬蹄の轟きが躯の血潮を沸き立たせている。

「あれから、もう十四年になるのか」

 兼続の脳裡に家康率いる、会津征伐軍の大軍が蘇っていた。

 あの時は慶長五年であった。会津の白河口に家康を誘い込み、東軍を殲滅

させる、景勝、兼続の戦略は万全であった。

 その瞬間と、あれから過ぎさった歳月が一瞬の光芒となって奔りぬけた。

 傍らの主人の景勝は、兜の庇(ひさし)から剽悍な目つきで通り過ぎる将兵を

眺めている。兼続の智謀をもってしても、図りがたい顔つきをしている。

 あの場合もそうであった。兼続は不思議な思いをこめ主人の横顔を見つめ

た。突然、毘と龍の旗指物が風を受け大きくはためいた。

 上杉家が誇る尚武の印しの戦旗である。

 この日、大阪方の城兵が天王寺に放火し、聖徳太子以来の仏閣が吹きすさ

ぶ烈風に煽られ、堂塔伽藍がことごとく焼失し焦土と化したのだ。

 あの日も風の強い日であった。               続く
  






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Last updated  Jan 24, 2009 03:22:14 PM
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