長編時代小説コーナ

2011/07/29(金)11:54

騒乱江戸湊

伊庭求馬無情剣(105)

           「騒乱江戸湊(96)」  江戸城の老中御用部屋で首座の阿部正弘と、大目付の嘉納主水が 密談を交わしている。 「明日の丑の刻が勝負と伊庭が申しましたか?」  阿部正弘が柔和な口調で訊ねた。 「左様、詳しいことはそれがしの下城後に知らせるとのことにございます」 「・・・何も解らずに明日に備えよと申されるか?」  阿部正弘の若々しい顔に苛立ちの色が浮かんでいる。 「嘉納殿、明日に備え拙者から火付盗賊改方、両町奉行所、船手組等の 関係先に待機を命じておきましょう。更に各組から遣い手を選んでおきます。 貴殿は伊庭の情報を待って、詳細を直ちに知らせて下され」  阿部正弘がここで即断したのだ。 「首座殿、話が済みました。それがしは緊急事態ゆえに下城いたします」  嘉納主水は城を辞し屋敷に戻った。途中に根岸一馬が日本橋へと向かった。  城に残った阿部正弘は閣僚を集め、それぞれに指示を与え、大名火消と町 火消に出動を命じた。江戸の町を守る、これも彼の使命のひとつである。  主水が屋敷に戻り衣装替えを済ませ、麻の単衣姿で書院に座った。  首座が万全な態勢を整えてくれる。あとは伊庭求馬の話を聴き闇公方一味 の捕縛と鳳凰丸の占拠を謀る、それが自分の務めと感じていた。  半刻後に根岸一馬と伊庭求馬が屋敷に現れた。 「ご苦労に存ずる、まずは座られよ」  主水が二人に労いの言葉をかけた。  それに応じ求馬は座布団に腰を据え、直ぐに江戸湾で見た鳳凰丸の動きを 報告し、決行日を明日と決めた根拠を述べた。 「鳳凰丸は毎晩、江戸湾に侵入しておりましたか。今夜も来ますな」  主水が巨眼を光らせ求馬に同意を求めた。 「左様。風の強い日を予測することは困難です。よって闇公方の仕掛けを待つ ことはござらん。我等が先手を打ちましょう」  求馬が平然とした態度で主水に自分の考えを述べた。 「伊庭殿、こたび事件を解決する策は出来ておられるか?」  主水が改まった口調で求馬の考えを問いただした。 「まず奥山の地下蔵ですが、奴等が江戸の町を火の海にするためには、あの 場所が一番の要となります。奴等が決起するなら金で集めた浪人を率い必ず、 地下蔵に向います。それを阻止するために火付盗賊改方は日暮れを待って 奥山一帯に待機するよう命じて下され」 「成程、地下蔵の武器を奴等に渡さねば我等の勝ちですな」  主水が濃い髭跡をさすって冷えた茶を飲み下した。 「一方の下谷御徒町の隠れ家ですが、町奉行所で監視を行うように依頼して 下され。必ず指揮を執る人物が奥山に向います、それを発見したら先行し、 奥山の火付盗賊改方に伝令を走らせて下され、それなれば集結する浪人共 を一網打尽にすることは簡単にござる。更に刻限を定め奴等の隠れ家を包囲 いたす」   「その刻限は?」 「余り早い手入れは鳳凰丸に知れる恐れがあります。鳳凰丸は丑の刻(深夜 二時)に江戸湾に侵入します、手入れの刻限は九つ(深夜零時)と心得てくださ れ」  求馬にはただひとつ危惧があった。闇公方の正体は薩摩藩主の斉興の血筋 を引く新納帯刀である、彼に従う浪人は小勢であっても手練者の集まりであ る。薩摩藩邸などに逃げ込まれたら一大事である。あまり早い手入れは考えも のと求馬はそう判断をしたのだ。 「嘉納殿、闇公方の捕縛は貴方にお願いいたします」 「ようやくそれがしの出番が参りましたか、大目付とし必ず新納帯刀に引導を 渡してやりましょう」  主水の肉太い頬が緩んでいる。  求馬も茶を啜り話の続きを語った。手入れが始まれば奴等は神田川から両国 橋を潜り抜け、大川を横切って六万坪地から江戸湾に逃れる筈。それを阻止せ ねばならない。 「嘉納殿、船手組に下知をお願いいたす。竪川、小名木川に奴等を入れては なりません、それ故に大川の東側を封鎖して下され。そうなれば奴等は仕方なく 大川に出て永代橋から江戸湾に逃走しましょう」 「・・・・承知いたした。それがしが猪牙船でもって闇公方を追いつめましょう。 じゃが、鳳凰丸はどうされる?」  主水が気負った言葉を吐き、暫くし肝心の質問を発した。 「ご心配は無用にござる、それは船手組とそれがしが爆破いたします」  求馬が常と変わらぬ顔つきで答えた。  騒乱江戸湊(1)へ   

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