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カテゴリ:エッセイ
明日仕事が早朝からあって、接骨院のエアコンタイマーを初めて使うはめになってしまった。
不安なので、そのタイマーが入る時間に接骨院に確認しにこなくてはいけないと、機械を信用していない自分ってしょうがないな~と思いながら、今日も「願立剣術物語」を眺めています。 「面向かいという事」 「面向かい」・・・いきなり知らない言葉が出てきた。 これはなんのことを言っているのだろう? 「面」だから顔だろう。 「向かい」だから向かうんだろう。 したがって、相手の顔に向かうってことか。 ということは相手の正面に向かっていくということか。 ということは、「正面」ということか。 だったら「正面」って書けばいいのに・・・・。 「敵を求め向かうにはあらず。」 「求める一物備わる也。」 実は、この辺の文字が、良く見えない。 まあ、こう書いてあるだろうという推測だ。 「我が心の向かう〇り能々取り請ける事肝要也。」 ここも字が見えない。 これじゃわからん。 こちらの心が向かう何かを取り請けることが大事だ・・・・ってわけだけど、その何かって何? 「玉〇心〇らば何れか我に向かわざる処あらんや。」 こちらは玉の心なんだから、相手に向いてない部分はない、ということか。 それにしてもこのページ、字がやたらに見えにくい。 これじゃ、理解できない。 「玉は十方を放れ、十方に能く通観し、万方明らかにせしめ一つも泥むことなし。しかも、内、清く留まる処なし。」 玉は自由に転がるので、ぐずぐずするところがない。穢れのない純粋な球体なら止まることはない。 それはそうだ。 「面向かいといえば、敵、先ず立つ。味方後となり、しからば敵の色に付くに似たり。」 面向かいと言うと、敵がまずこちらの目の前に立ってから、こちらも向かい合うということのようだが、それでは、後手にまわっていることになる。 「此の処、まぎらわしく心得がたし」 ここんとこ、間違いやすいんだよね、ってか。 それはそうだな。 だって敵が目の前にくれば、こっちだって「なにを!」ってなもんで向かい合うよな。 これが違うってどういうこと? 「たとえば月の光指し入りたる戸をあくる者あり。入光あり。何を先とし何を後とせんや。」 暗い部屋の戸を開けると月光が入ってくる。戸を開けるのが先か、月光が入ってくるのが先か? そんなのわかんないだろ。。。。ってことか。 実は、ここまで読むと、私が最初、「面向かいって正面のことだろう」という推測が外れてしまったことがわかる。 相手がこちらの正面に立つか。 こちらが相手の正面に立つか。 いずれにしても正面にたつんだから、どっちが先ってことないだろう。 「面向かい」といいう言葉を「正面」と解釈すると、こんなつまらない内容を、わざわざ月光に例えて説明していることになる。 そんなわけない。 ・・・ということは、「面向かい」とは「正面」のことではない、ということだ。 「面向かい」の面とは? 正面・側面・後面・上面・下面、全ての面としたらどうだろう? 前ての面に向かうということ。 逆に全ての面に向かうのは、その時、月光が部屋に入ってくるように、意図したものではないということ。 正面に向かうのも、側面に向かうのも、後面に向かうのも、向かおうとして向かっているのではなく、玉のように転がっていくんだから、意図して向かっていくものではない。 したがって「面向かい」というのは、こちらが意図した、敵の面に向かっていくということ。 「敵の側面を狙え」とか、「正面から押していけ」とか「後ろに回れ」とか、そんなこと。 平たく言えば、「面向かい」とは、敵の(こちらが)特定した面を攻めていくこと。 これに対して、筆者は、「そんなこと考えるな。後手に回るぞ」と言っている。 「こちらは、玉のように転がっていくだけなんだから、その時々の、たまたま目の前にある面を斬っていけばいい。」 こういう主張だと思う。 さらに考えれば、相手が玉の様でない場合、角があって多面体を作っていた場合、自分も角を作って多面体として面を相手の面と向き合わせくっついてしまったら、お互にに動けなくなるということ。 相手の面に合わせてこちらの面をあてはめようとすれば、後手になるばかりで、仮に間に合っても、膠着状態となってうごけなくなってしまう。 相手が多面体であっても、こちらは球体。 球体ならば、相手の周りを転がっていくだけなので、相手の多面体の平面部とこちらの球体面が向かい合ってくっつくことはない。 こういうことだと思う。 結論。 平面を持たない球体であれ。 そうすれば、部屋に月明りが差し込んで部屋を照らすように、相手のどこをどう攻めようなどと考えることなく、自然と相手の全身を攻略しているのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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