piccolaさん2004年夏に開催したサイトの「オフ会」に素敵な彼氏と参加してくれたのがpiccolaさんだった。30代半ばの綺麗な女性で、キャリアウーマンだ。 既に抗癌剤の副作用による脱毛があり、かつらをつけてはいたが、あの暑い日に新幹線に乗ってやって来られた。 その時はあまり記憶していなかったが、サイトの掲示板にも何度か投稿を頂いていたらしい。 病気発覚の経過は、どうにも体調が不調で、この際だからと思い人間ドックで全て調べて貰ったのだけれど、この時の結果は問題なし、おまけに「ランクA」で「健康」にお墨付きを貰ったそうだ。 でも、どうにも調子が良くならない・・・ランクAなのに・・・ 2ヶ月様子を見たけれど、やはりおかしいからと病院に行ったらスキルス・既にステージ4だった。 手術不可で抗癌剤治療が始まった。 オフ会で実際にお会いしてから、彼女とのお付き合いが始まって、入院すると何度かお見舞いに行った。 「手術が出来ない」事をとても悔しがっていて、テレビやネットで手術出来るにも関わらず、躊躇している患者さんを目にすると羨望もあったのだろうけれど、とても怒っていた。 何度も「どうして私は手術が出来ないのでしょうね・・・」って言った言葉が強く頭に残っている。 「(抗癌剤の副作用で)脱毛は我慢できない」と泣いていた女性患者さんが昨夜テレビに出ていたけれど、何を甘ったれたことを言うのかと思ったと、私に強く言った事もあった。 彼女にとって「生きる」と言うことは正に、命がけだった。 いつでもご自分に厳しい女性で、どんなに強い副作用にも自ら進んで耐える人だった。 最愛の彼氏との結婚が目前という事も彼女を強くしたのだと思う。 お見舞いに行く時はいつも主人も一緒で、ヒゲさんも同行した事もあった。 必ず、ハンサムな彼氏が来ていた。 この彼は素晴らしい男性で、彼女の全てを大きな体と心で受け止めていた。 あんなに自分に厳しく、私宛てのメールにも弱音を吐かず、(ため息はついたけど)、常に前向きな言葉しか寄越さなかった彼女が、時に彼氏に甘えた言葉を言う姿はとても微笑ましかった。 唯一、甘えられ、わがままが言える相手だったのだろう・・・・ 患者さんには、こういう存在が必要だ。 その彼氏から、彼女の他界の知らせが届いたのは昨年の2月。 この時はたまらず、声をあげて泣いた・・・ 2005年2月16日旅立ち |