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カテゴリ:「心もよう」今昔(詩歌)
「ひらがな」に託されたエロス (日本文化の感性「ひらがな」の発明)
平安時代(京都から政治は行われていた。漢字こそ唯一の公用語とした時代性:すべて漢文)は、壱万人の官僚(律令制度→土地を国が与え税をとる→重税に土地を離して放浪する者が増える)に支えられていた。どっかの国の今の時代とよく似ている。 秀才というか勤勉で妥協を許さないという実直な人間で、協調性とか周りを思いやるという、今で言う「気配り上手」という人ではなかったと思われるが、相当の鉄人的な勉強家だったことが窺い知れる。 そうした中で学問の神様(天神様って奴:菅原道真、享年59歳、方略試に初合格、40歳文章博士)として祭られ、その際立った才能を開花させていたことだろうし、当時は「大変な存在」として崇められていたに違いない。それが今日まで太宰府天満宮を初めとしてあちこちに流布され現代に至ったことは、「日本人の気質」大きなかかわりを保ちながら(民間伝承を含め)精神構造に確かなDNAが刻み込まれてきたと確信できる。 一方、菅原道真に対峙する人間がもう一つの顔を引提げて登場する→ひらがなをこよなく愛する藤原時平(享年39歳)だ。藤原家の御曹司で和歌の名士、ひらがなを愛したというよりエロス的な人間として存在感を示し、止むに止まれぬ表現として、多くの女性と浮名を流した。自身の切なる感情の表現を対女性にストレートにするという(日本古来の音によるからこそ心情を語れる)最強の方法としての「かな」という言語の使用、一語一語の音に託されたより深い心情を表現できる「かな」の誕生は日本のエロス史を語る上で重要な歴史性を含んでいる。(「ひらがな」誕生の10世紀ごろは、政治の場では認められていない。貴族が嫁がせるための嫁入り道具程度だった。) 平安時代の中国文化の恩恵と中国文化からの脱出→律令制度の崩壊→三百年も続いた遣唐使の廃止(894)→日本独自の税制を考えなければならなくなった→「有力なものに土地の所有を認めて税を課す。」 菅原道真は「税の仕組みをどう考案するか」国政の主導権をとったが、その人間性というか、性格上のインパクトによるのかは解らないが、勝手な政治を行っているように見えた。(やがて→道真大宰府に追放) 女にうつつを抜かしながらも時平も政治の表舞台で「新しい時代」の到来を告げるべく心労を重ねていたと思われるが結局→道真と同じように「広さに応じた税」を徴収した。 中国文化からの文化的な独立性(文化的な独立宣言)新しい時代の幕開けを告げるものとしての「ひらがな」による「新古今和歌集」の編纂、(安倍首相の「美しい国」構想「教育基本法改正」)新しい時代の到来を官僚たちに告げようということで新古今和歌集(13の部類)に編纂された。(3年を要し905年4月18日完成した。) (日本文化の感性「ひらがな」の発明)このメモは「その時歴史は動いた」に拠るもので、若干加筆したものだ。 【写真】中州と新宿・八重洲 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.10.18 20:42:25
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