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ハワイのおじが、退職をして年金をもらう歳67歳になった。何年ぶりかで日本にやってきた。職業はコックさんなので、今まで仕事を掛け持ちして、頑張ってきた。年金を貰える今も、仕事を2つ持っている。とても働きものだ。
高校の卒業式もでないで、東京に夢をもって就職したらしい、その後紆余曲折、世界中をあるいて、ハワイに住むことになった。ちょうど東京で働いているとき、我が家に住んでいたので、本当に私が小さい頃から、よく知っている。 結婚するときも、結婚するはずのフィアンセ(この人も私の家に3ヶ月もすんでいた。)なのに突然結婚間近で、婚約解消?いやどこかに逃げてしまった・・・好きな人がいたのだろうか? 傷心をかかえて、昔から好きだった今のおばさんにアタックでもふられて、ますます傷ついて、結局海外にいってしまった。 結局は、その叔父をふった女性が、今の奥さんになっている。叔父は、初志貫徹☆好きな人を、妻にできたので、一生懸命働いたのだと思う。まあ叔父にして彼女は正解だったのかも。 高校生の時ハワイに行って、その時なんか説教されたのを、覚えている。親のお金で、くるんじゃない☆となんか怒られた覚えがある。彼の持論は、一生懸命働いて、そのご褒美に来るところだといっていた。娘がハワイに行きたいといったら、同じ事をいっていた。変わらない・・・ でも娘がその年になったら、叔父はとっくに天国いきだから、早いうちに言ったほうがいいと言ったら、笑っていた。 今回は25日間日本に滞在しているその3日を一緒に過ごした。面白いのは、鬼ころしという日本酒をもって、砥石をもってやってきた。あとで聞いたらビールが好きらしいが、彼のポリシーで滞在先の人には迷惑をかけないという心から、日本酒の2リットルパックになったみたいだ。おじいちゃんつまり、おじさんのお父さんも日本酒が大好きだった。お水くれと言われて、母がお水を出すと、怒られたらしい、結局日本酒がお水だったのだ・・・やはりこの辺は、遺伝なのかもしれない。そしておおきな砥石☆彼は、台湾のお姉さんの家にも、何日か泊まって日本にきたらしく、包丁を研いできて上げたらしい、福島の親戚、私の実家、福島の兄弟、お友達、北海道の知り合いと泊めてもらった家の包丁を全部砥いで行った。私の家も3本あったが、1時間ぐらいかけて、研ぎあげていった。トマトもきゅうりもすっぱりきれる。さすが職人のうで・・・彼流のお礼のしかたなのだと思う。とにかく俺流のはっきりした叔父である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.10.19 10:20:04
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