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子どものころ世田谷で暮らしていた時に、目黒にいとこが引っ越してきた。おばが、講談社の仕事をはじめるために東京ぐらしとなった。
イラストレーターの彼女の生活は、毎日驚きの連続だった。まだ小学生の私は、奇抜なおばがとても大好きだった。 ファッション関係のしごとだったせいもあるのか、周りの人もとても個性的で、いきなり赤いタイツをはいてきたり、原色の民族衣装をきたりとほんとうにまいかいどきどきしたことを覚えている。海外の人もたくさん来て、まだ昭和の始めなのに、いまなら当たり前のファッション事情もその頃では、まったく理解不能だった。 到底日本では、彼女の感性は収まらず、結局離婚して単身NYに子ども3人つれて行ってしまった。それも勇気だ~と中学生の時の私には、衝撃的だった。 その影響か、私は、絵が大好きだった。でも母は、そんな奔放なおばの生き方に疑問をもっていたのか、絵を書くことにはとても反対していた。今頃になって、絵をやらせてあげればよかったね~などどいう、いまさらね・・・でもその才能は、娘が受け継いでいると思う、DNAは怖い☆ そんないとことは、14歳の時に空港で別れたきり会っていなかった。最近になって、ハワイの伯父さんがきたり、いとこたちと連絡をとったり、3人の子どもたちも何とか大きくなったので、ちょっと周りを見る余裕ができてきた。 突然そんないとこが、フランスから電話をくれた。それこそ36年ぶりでも懐かしい、彼女独特の福島弁のなごりのある話し方は、変わっていなくて本当になつかしかったし、36年の時を超えて、話が尽きなかった。 彼女の福島に住んでいたお父さんは、新し人と再婚して今は福島で暮らしているが、2年前の震災の時に、彼女は父の家族をフランスに呼んだ。それこそ30年ぶりぐらいの再会で、それでも家族がいるんだと再認識したといっていた。 6月には、NYで兄弟3人とお母さんと伯父さん、おばさんたちと集まると言っていた。おばもきっとかなり年をとったことだろう・・・早いうちに会いにいかなければ・・・ アメリカにあこがれていた学生時代、ヨーロッパにはまったく興味がなかったが、最近仕事の関係でフランスやイギリスの文化に触れることもあって、ヨーロッパに行きたいと思うようになった。近いうち彼女の家におじゃましたい。来年は、日本に来るみたいだから、いろいろ計画をねっておかなきゃ☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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