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2016.08.17
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カテゴリ:映画感想
庵野秀明・樋口真嗣『シン・ゴジラ』
(2016年/日本/119分) 



 前評判を覆して、ふつうに面白かった。 BGMから何からエヴァ臭を隠そうともしないどころか見せつけてくる作り込みに、ああこれは現代日本を舞台にエヴァのいないネルフと使徒の攻防を描いたエヴァや……庵野さんこういうの作れてよかったね……と若干親心めいたものを感じながら観たエヴァ世代です。

 しかしだからこそ「このご時世にそれやっちゃうんだ……」と絶句するほどの内向き感もあり、作品としての出来がとてもいいことやキャラクターがいい具合に作られていることなどは大前提として、私がどうしてもストレスを感じてしまって結果的にこの映画は嫌いな映画だと断じるに至った部分について書きます。

 先に言っとくけど無人在来線爆弾とかいって俺たちの京浜東北線が華々しく活躍するシーンでテンション上がらないわけはないし、お前ら二次元だったら絶対よしながふみ作画でBLだろって感じの内閣腐な面々の完成度、ミサト+アスカな石原さとみとリツコ+レイな市川実日子が最高に百合だったことは一切否定しません。否定しないっていうかむしろ好きです。

 ゴジラの造形もよかったけど、ここに関しては私の落ち度で、鑑賞前にうっかり関係者らしき方の「ゴジラの肌はゴーヤで型取りしてます」というツイートを読んでしまったためにゴジラがいかに荘厳な神で巨神兵でも「でかいゴーヤ……」と思ってしまったのが敗因でした。どこかでリセットしたい。

 そういう部分を経てなお、やっぱりこれはアカンと個人的に思うところを今回はまとめて書きます。 

 なお、何でこんな他にもたくさん言及してる人がいそうなつまらん話をつらつら加えたかというと、以前『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』の思想性のクソさについて書いた際、作品美術や技術力の高さ・キャラクターの魅力については特に触れず、その装置としてのあり方に絞って批判しているにもかかわらず「でもあれはケモナーには萌えなんだよ」「普通に面白かった〜って素直に思えないの?」「でもカズマには萌えるじゃん」と言って反論か何かのつもりになってクソリプしてきた人が大勢いて大変に面倒だったので、今回は先に予防線張りました。まあこのブログコメントできない仕様ですけど。


◼︎結論が「希望は、戦争」

 何を置いても「おいおいおいおいおい」と思ったのはここでした。

 「この国はスクラップ&ビルドを繰り返して成長してきた…」って晴れ晴れと言うのは「戦争が起きればこの閉塞した状況から俺は脱せるかもしれない。上に行くチャンスがあるかも」と犬死とか軍隊内で自分がマッチョ体育会系に殴られることとかから目を逸らして語っていた某ライターと同じことでは。
 ゴジラによる大破壊そのものは3・11を意識して描写されているけど、現実の被害は今なお被災者に負担を強いている状況です。劇中で明確に「倒すべき敵」がいること自体は戦争のアレゴリーとして捉えて問題ないでしょう。

 戦争状態になって上のエライじじいが消えれば現場で上から押さえつけられて苦労していた有能な若手の俺らは上に立てる!官僚組織は残ってるから「戦後」は仕切ってもらえるし俺に都合の悪い変革は抜きでそのまま俺らの時代が来るぜ!っていう超絶甘いドリーム。その後生き残った新生内閣の目指すものは「強い日本」しか想像できない。

 興味深い話として、太平洋戦争のとき30〜40代の中堅の若手参謀職が「上のノロノロした裁定を待っていられない」とばかりに血気盛んに突出し止められなくなり収集がつかなくなったという話もあり、シンゴジラにおける「現場主義で有能な若手」って要するにそういうことでは?と。

 またあっさりと国連判断を「こっちの状況も知らないで理想ばかりを言うもの」として蔑ろにすることも、「我が代表、堂々と退場せり」と国連脱退に拍手喝采した戦前日本の心性を想起させる。

 ヤシオリ作戦自体は「あの状況であればそうなるだろう」と思うけれど、それを手放しで褒めるのは、要するに鉄製品を国民から回収した戦前を賛美するところまであと数歩といったところでしょう。定期的に使徒がやってきていて軍事国家状態となった国でネルフが日本中から電気を集める想定とは前提が違う。本当に最高の才能をかけて最強に面白い「頑張ってるヘイタイサンに国民も協力しましょう」プロパガンダ作品を作ったものです。

 なお「プロパガンダ作品」という言葉に「プロパガンダとは何事だ」と、暗にプロパガンダ=程度の低いものとして拒否反応を示す人は多いかもしれませんが、私のもともとのフィールドはソ連映画なのですが、プロパガンダ作品であることと傑作であることは両立し得るものです。どれだけ悲惨なものを踏み台にしていても『意志の勝利』は今なお美しく、それだけに批判に晒されなければならない存在なのです。このブログを遡ればわかるかと思いますが、資本主義およびアメリカ覇権主義のプロパガンダなんてハリウッド映画に石投げれば当たるし、どっからでも要素探し出せますからね。


◼︎繰り返される「ニッポンスゴイ」 

 ここは本当に気持ち悪かった。

 「国民」「国民」ってお前国際都市TOKYOの自負はどこへ行ったんだっていう気持ち悪さはまあ単なる私のアレルギーかもしれませんが、「日本人は…」「日本は…」というの、今のこのクソニッポニズム全盛のご時世で繰り返すもんじゃないよ。内向きにもほどがある。

 序盤で「楽観的な見方が先の大戦でも甚大な被害を国民にもたらしました」的なことを言っている部分にしても(国外で自分たちがどれだけの被害をもたらしたかに触れない部分も気になりますが)そこは批判できても、まるでその後の巨災対の功績が「日本人だからこそできた和を尊ぶチームワーク」かのように描くのはどうなの、というのが最初にあり。どっちかというとチームで連携して動くのは欧米企業が得意とする動きではないのか。日本だとどうしても上意下達になるし、実際あれは頭がすげ変わっただけでそういう動き方だったよな…と。『オデッセイ』とかチームワークの産物だろ。


オデッセイ【動画配信】

 別に日本固有でもなんでもないもんを「日本人の…」と書かれることほど日本人の私としては気色悪いし尻がむず痒くなります。なぜ「日本は謙虚を美徳とする」と言いながらわざわざ海外(主に白人国)へ出向いて日本をベタ褒めさせる番組が流行るのかということまでゴジラ観ながら考えてしまった。

 長谷川博己という役者の顔がまた、美形でありながらも絶妙に凡庸な印象を持っていて「社会の中で歯車として着実に仕事を頑張っていて、周りの人のいいところを見て指示をしたら輝ける俺」という感情移入先としても最適なんですよね。そんな人が日本を代表して「日本人」を連呼して華々しい活躍を見せる。そりゃ楽しい精神的自慰でしょう。ネトウヨ思想は保守主義というよりもサラリーマン的序列主義の成れの果て、と言った人がいたことを思い出します。


◼︎感情移入の行き着く先は

 これはかなり恣意的なものがあるのでは、と思っています。

 まずは巨災対本部の「霞が関の鼻つまみ者・オタク・やっかみ者」集団、という設定。

  少なくとも課長代理補佐とかそのへんまでは上がれてる存在で、みんな霞が関における服装規定その他はそれなりに遵守できている。というかそうでないと生き残れない。おそろしいことに局長クラスまでいる。いや〜前職でこのクラスの名刺貰えたらもう一同ガッツポーズでしたよ。この時点で、この「不遇なアウトサイダー」たちはエリート中のどエリート内における呼称だと劇中で明確に示されるのですが、どうにも彼らに「不遇なオタクの名誉挽回」的な共感をもってして感情移入して批判を許さない一群がいることが気にかかる。官僚組織にルサンチマンを仮託したって肉屋を支持する豚と変わらないぜと思って私は鼻白みました。

 このガチのエリート官僚・二世議員たちに共感先を設定するというのが曲者で、一部で議論を巻き起こした「国会議事堂前でゴジラを守れと言ってまんまSEALDsっぽいデモしてる国民と徹夜で国のために働いて寝ているエリート官僚」を対比させる図をポイッと出せたところに現代日本の闇がある。
 「ゴジラを守れ」というかなりトンチンカンなデモ隊の主張は単なるシニカルを気取った悪意として、首相周りの対応が遅くて神奈川〜東京都内に甚大な被害を出したのは事実。観客のほとんどは、思想はどうあれこのデモ側に属することになるんですよ。生活基盤ぶっ壊されてて。そこを簡単に「官僚だって頑張ってるんだから慮って信じてあげるのが正しい国民」かのような分断をするのもどうかと思いますが、あの「国民」が自分たちを指しているものだと気付けない時点でもうどうなの、という。

 2名出てくる総理大臣にも似たような要素があり、この判官贔屓が浸透した社会の「お上の偉い方が我々下々の者のために頑張ってくださっているのだから文句を言ってはならねえ」になりがちな空気の中でこういう「総理大臣も色んな意見がある中で大変なんだね」「頭を下げてくださっている」的心情を呼び起こす描写は気持ち悪いというほかなかった。

  また前述のように主人公側が最初からドエリート集団なので、ゴジラという大災害によってスクラップアンドビルドを果たしても、仕切る側の組織はあくまで旧来の官僚組織。ゴジラでの反省を生かしてスピーディな伝達を是としたり、意見を言える人を中心にして若返りこそしても、結局もともとの官僚社会が持っていた男社会とエリート主義はそのままだということがゴジラ停止後の動きを見てもよくわかる。
 あの長谷川博己(の役)、自分が総理になっても役目を終えたら譲るとか言ってるけど「まだ復興は道半ばである」的なカッコイイポーズとりながらずっと権力を手放さないテンプレな政治家になると思う。

 こういうところから見ても、現在の日本国内の情勢から鑑みて、これらの描写が結局どこを向いたものなのかくらいは考えた方がいいと思う。

 なお自衛隊全面協力での自衛隊PVかよっていう部分ついては目をうっっっっすら開いて観れば許容範囲でした。エヴァの手法で現代日本×巨大怪獣をやったら手段として自衛隊を出すしかないし、シミュレーションとしてもこうなるのはわかるので。


◼︎ネット上での状況

 個人的に一番「ないわ〜」と思って、「7〜8月に観た映画」のエントリでちょろっと触れるだけのつもりだったこの映画についてまとめて書こうと思った理由がこれ。

 批判を一切許す気がない、批判されたら「政治的に中立な作品に対する批判はその人の政治観を写す鏡」などと言い募って嘲笑しにかかる人間の多さ。うんまあ、「たくさんある意見を右から左に並べてちょうど真ん中を取る」ことが「中立」だったら今の中立がどっちに寄るかって話ならわかりますけど。フィクションには政治性が現れるというごく当たり前の事実すら否定するほど今この国では「政治的」であることが避けられているのかと、その部分の方に空恐ろしくなります。

 というか初代ゴジラってめっちゃ政治性なかった……?


◼︎余談

  これは次のエントリで書こうか本気で迷ってたんですが、先日、リメイク版『ゴーストバスターズ』2D先行上映を観てきたんですよ。その一部ネタバレをするので知りたくない方は以下読まなくていいです。



 シン・ゴジラ劇中で、東京に核を落とすかどうかってシーンで「遠い国だと思って核を落とせだなんて言いやがる」「たとえそれがニューヨークの中心でも同じ判断を下すそうだ」っていうようなセリフがあったじゃないですか。私はあのとき「まあ日本政府も沖縄とか北海道だったら絶対唯々諾々と従ってただろうね」と思いつつ「でもアメリカはさすがにニューヨークには落とさねーだろ」と考えてたんですが、ほんとすいませんでした。

 『ゴーストバスターズ』ではカジュアルに仕事用の車に核兵器を積んでいます。
 しかもそれをニューヨークのど真ん中でぶっ放します。やれるんだね……まああれはギャグ要素の強いフィクションだけど、フィクションであっても気軽に核兵器積んで仕事して「よっしゃ核兵器使ったれや!」というものは日本では作る発想すらねーなと思い知りました。すんませんでした。





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Last updated  2016.08.17 23:00:07



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