「保険屋」【1】会社には、保険外交員が時々来ていた。2・3人で来ることもあったが、全員女性だった。 俺の机の所にも来て、飴など置いていくものだから 「これいらない」とはっきり言ったが、作り笑顔で「どうぞ受け取ってください」などと言っていた。飴が、というより保険屋から物をもらうのがいやだったんだけどな。 飴は、課長の机の上に置いて「これ、あげます。お中元です」と言った。 ある日、しつこい外交員が来ていた。しつこく保険加入を勧めるのは、仕事熱心だということだとはわかるが、自分の収入を増やすためとも見えていやらしいとも感じていた。 俺にも、少し離れたところからだが声をかけてきた。 「あらー、いい男ですね。こんないい男がいるとは気がつかなくて、失礼しました。」 などと、と近づきかけた。 【2】 「それ以上、俺に近づくな。保険屋に用はない」 そう言っても、にこにこしながら近づこうとしたので、こちらから出向いて行って、 「保険屋に用はないと言ったろう」 と、女の頭をつかんで、机の上に押さえつけた。 「保険屋に用はない、俺に近づくなと言ったろう。わからないのか」 女は動けないまま 「わかりました」と言った。 女がおとなしくなったようなので、手を放して席に戻った。 「髪の毛が乱れたから、整えてから帰れよ」 と言うと 「失礼しました」とだけ言って出て行った。 髪を直す様子がなかったけど、いいのかと思っていたが、これで保険屋に恨みをかうことになるのだろうか。 【3】 ある日、頭を抑えつけた保険屋の女性の上司という人が会社に来た。上司が抗議に来たのかと思った。 「どういうご用件でしょうか?」 と聞くと、女性上司は、深々と頭を下げて、 「先日は、当社の人間が失礼なことをしたようで、申し訳ありませんでした」 いやみで言ってるのかと思った。 「いえ、こちらこそ、女性に対して失礼なことをしました」 女性上司は、驚いたような顔をして 「怒ってらっしゃらないんですか?」 「いつまでもはね」 女性上司は、下を向いてなにか考えていた。自分も罵倒されて、頭を押さえつけられるとでも思ってたんだろうか。 「部下から報告を聞いた通りの素敵な方ですね」 急に何を言い出すのかと思って混乱した。 【4】 「その素敵な方に、いったいどういうご用件でしたっけ…わざわざ上司が出向いてきて」 「実は、容姿も行動も素敵な方と報告を聞いて、私も拝見したいなと思いまして」 「そんなことでいいの。苦情言わなくて」 「いえ、苦情なんて滅相もない。頭をつかまれた女性も、しばらく髪を洗わないんだって…芸能人と握手して手を洗わないみたいなものですね」 「ふ~ん」 「最近少ないですね。はっきりした男性って。そこにひかれたんだと思います」 「ふ~ん…俺はアイドル?」 「いえ、アイドルなんかよりすごいと思います」 「ふ~ん。あなたが会ってみても?」 「ええ、もちろん、聞いていた通りのすばらしいお方と思っております」 【5】 この保険会社の管理職は、何をしに来たんだろうか。ほんとに俺に会うためだけに来たのか。ひまなんだなぁ。 「せっかく、保険屋のえらいさんが来てくれたんだから、保険について言いたいことがあるんだけど、聞いてくれる」 「なんなりとおっしゃってください。今後の参考にさせていただきます」 「あのね、俺、以前大腸に悪性リンパ腫のポリープができて手術したことあるんだ。悪性リンパ腫ってリンパ腺のガンだからね。他の保険屋さんの話だと、一生保険には入れないそうだね。利益供与や詐欺罪になってしまうから。元気な体の人ばっかりに保険勧めて、ほんとうに不安がある人が、保険に入れないのはおかしいだろう。どうにかならないかな」 「そうだったんですか。知らないこととはいえ、失礼をいたしました。その件につきましては、今後検討していきたいと思います」 【6】 「検討していきます…か。役人の答弁みたいだな。やる気ないな」 「いえ、すぐに実現はできませんが、保険業界も変わっていかなければならない時期になっていると思っています」 「そう、じゃあ、その『検討』ってのぜひやってみて。それとね、もうひとつあるんだけど、保険って貯蓄の意味でやってる人多いんだけど、それやめて、掛け捨ての保険を多くできないかな。将来のけがや病気のために備えるってのが正道だと思うよ」 「はい、掛け捨ての保険につきましては、いろいろなパターンを考えて、保険商品にするよう開発しています。…あの、『せいどう』ってなんですか?」 「『正道』…正しい道だよ。保険を貯蓄と称して金集めて、でかいビルばっかり建ててるんじゃないよ」 「はい、わかりました」 【7】 「ほんとに、わかったの?」 「はい、わかりましたけど。私も、これからの時代の保険というものを考えていたところですから。たいへん参考になりました」 「そう?変わってね。本当に不安な人のための保険作ってね」 「わかりました」 「あ、そう。ところで、冷静に反応するひとだね。業界は違うけど、上司だったら、女性上司でも働いてみたいなと思ったよ」 「滅相もございません。私の方こそ、下で働いてみたいと考えております」 「両方でほめあってると、周りからは馬鹿だと思われるから、これくらいにしようか」 「そうなんですか」 「よし!じゃあ、建設会社と保険会社で合併しようか?」 「それは、難しいと思いますけど…」 (終) 《 現場監督時代目次へ 》 《 目次へ 》 《 HOME 》 |