テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:砂の魂のふるさと
和とは、元々は「礼記」儒行の中にある言葉で、平和のほか、他との調和、 融和を表し、自分自身とも、他人とも、仲良くすることを指すんだ。 "自分自身"ということは、自己愛も含まれてんだね... 日本の国を表す古い表現は「和」。日本は"和の国"。 小さな島国で、助け合いの精神を脈々と継承し養ってきた民族なんだと思う。 「和を以って貴しと為す」は、聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条にある条文だ。 今から約1,400年もの遥か昔から、憲法に書き記すほど和を尊重する国だったことが、 歴史の中にも垣間見ることができるね。 元来、他者との友好的で平和的な共存に価値を見出すのが、日本人の美徳であり、 日本の伝統的な精神文化の一つだった。 そんな、「和」のモラルを尊ぶ国の心が、いつから変化したんだろうと残念に思う。 敗戦を機に、欧米から持ち込まれた個人主義が、他を重んじる日本の精神文化を滅ぼし、 日本人の生き方そのものを変えてしまったと嘆く人も少なくない。 欧米型個人主義と、利益優先の市場主義が、他人を顧みることのできない人間を増やしたと 指摘する人もいる。砂も、これは確かに原因の一つだと思うよ。 また、個人主義と背中合わせにある精神的孤独に慣れていない日本人は、 何か問題が生じた場合、一人で抱え込んでしまうと危惧している知識人も多い。 現在のように、社会不安が高まってくると、こうした人は益々社会に取り残され、 追い詰められてしまう気がするよね。 日本人の祖先は、古来から森羅万象のすべてに魂が宿るとする考え方を持ち、 人々は自分自身もまた自然の一部として、八百万の神々の懐に抱かれて生きた。 こうして自然に対して畏敬の念を持ち、人々はともに喜びや悲しみを分かち合い、 互いに助け合い、励ましあって共存してきたんだ。 そんな精神土壌から、聖徳太子の「和」の精神が生まれたんじゃないかと思う。 聖徳太子が、はじめて日本に制定した、十七条憲法の第一条に記された「和」は、 日本人の心の根幹にあるべきもので、日本を救う"道しるべ"となるかも知れないよ。 明日は、近畿も全般的に雨の予報なんだけど、よほどの土砂降りでなくて、 もし天候が許せば、伊勢神宮へお参りしようかと思ってるんだ。 クルマで、片道4時間ほどのドライブ... さて、行けるかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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