2011/12/05(月)22:12
スタッドレスタイヤと古代飛鳥の道...
(一昨年冬の高知道の雪 砂天狗撮影)
道が凍ると、クルマで走るのがとてつもなく困難になる。
とにかく、一度氷に捉えられるとコントロールは不可能。(恐怖)
冬の遠出に備えて、砂は毎年12月の初旬にスタッドレスに履き替える。
砂の冬のドライブは、三重だったり滋賀だったり、兵庫の日本海側や高知県だったり。
多くの人は、高知は雪が降らないと思ってるだろうね。
ところが、高知の道中の四国山脈は、一度降ると10センチ以上積もって、
しかもコチンコチンに凍るんだ。積雪で通行止めなんてことは珍しくない。
写真にもあるけど、一昨年、エリカと課長と三人で遊びに行ったときなんか、
高知道が一晩で銀世界になったよ。
このときも、スタッドレスしてたからOK。
エリカは雪にルンルン♪ 砂は凍結道路の運転にドキドキ...(笑)
砂のお気に入りの冬タイヤは、ブリジストン ブリザックREVO Gz♪♪
安全に走れる道があるから、ドライブしたり、人も往来できて物流も起きる。
道というものがあるから、文明が形づくられる。
今日は、そんな「道」のお話...
道といっても、お話は古代飛鳥の道。
日本書紀に記され、古代の奈良盆地を南北に縦断していた三本の幹線道のうち、
これまで発見されていなかった上ツ道の遺構が2005年に確認されて久しい。
当時、遺構は固く締まった盛り土の状態で市道脇の水田から発見され、
付近からは6世紀末から7世紀初頭の土器が出ており、
盛り土の上からは708年に鋳造された和同開珎や8世紀頃の土器片も見つかった。
かつてこの道は、「上ツ道」、「中ツ道」、「下ツ道」と呼ばれた三本の道で、
飛鳥京へ各地の貢ぎ物を運んだ物流の道であり、国家体制維持のための軍用道であり、
また、遠く中国、朝鮮へと続く外交と交易の道でもあった。
この三本の道の存在は、日本書紀に「壬申の乱」の記述で初めてに登場する道の名。
上ツ道の遺構は、卑弥呼の墓の説もある箸墓(はしはか)古墳の北東にあたる場所で、
日本書紀では、大海人(おおあまの)皇子と大友皇子が帝位を争った壬申の乱での戦いが、
この付近の上ツ道であったと記されているため、信憑性が高いと評価されたという。
古代への浪漫は尽きないね。
さて、スタッドレスに履き替えたし、今年もカニを食べに行こう♪