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ないものねだり

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2012.05.08
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カテゴリ:食べ物あれこれ


渚.jpg

(黄昏の渚 砂浮琴撮影)


来ぬ人を 松帆の浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ (藤原定家)


ここしばらく、愛用している塩がある。
藻塩は、ホンダワラという海藻に何度も海水を含ませて乾燥し、
それを焼いた灰をさらに煮詰めてつくる天然塩だ。


塩づくりの歴史を遡ると、古事記に登場する塩土翁(しおつちのおじ)が祖となる。
その塩土翁は神格化され、今は塩竈明神として各地の塩(竈)釜神社に祀られる。
余談だけど、塩釜神社の総本社は宮城県塩竈市の塩竈神社だそうだ。





塩づくりに話を戻そう...
古代の塩づくりは、海水を直接煮詰めたと考えられていて、
浜を利用した塩づくりで、藻塩がつくられるようになったのは奈良時代のこと。
藤原定家が恋歌を詠んだ時代、藻塩はバリバリの全盛期だったようだ。


安土桃山頃になると、塩田を利用する揚げ浜方式という方法で、
塩田に海水を撒いて結晶が付着した砂を集め、その濃い塩水を炊いてつくった。


その後、塩田は進化して、水門を利用した入り浜方式へと発展し、
この効率的な塩づくりは、以後三百年間続いたそうだ。


また、明治38年、日露戦争の戦費調達というキレイな表向きの名目で、
海外から流入する安価な塩の締め出しを図って、塩は専売品となり、
専売制度は平成9年まで続けられた。(ほぼ若い人は知らない...笑)


   愛車


日本の塩づくりの技術はさらに進化する...
昭和30年頃、省スペースで高効率な枝条流下式が考案されたが、
何故か突然、1971年に塩業近代化措置法という悪法(?)が施行され、
以降、1997年までの間、海水から製塩することは禁止される。(謎...)


こうして、日本の伝統製法は一時完全に廃れてしまう。
伝統的な天然の有機ミネラル塩にとっては、まさに暗黒時代だった。


現在、塩は自由化され、製造、輸入、販売についても自由にできる。
そして、姿を消していた伝統製法は再び各地で復活し出回るようになった。


塩は、母なる海から進化した生命体にとって不可欠な栄養素。
とはいえ、くれぐれも摂り過ぎにだけは注意しよう...な。(笑)



さて、新鮮な鰹のタタキはレモンをキュッと絞り、粗塩で食べると格別美味い。
今、ちょうど初鰹の季節だから高知へ行こう~♪












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Last updated  2012.05.08 12:51:38
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