双子条例(後編)
徹夜明けの私を出迎えたのは、血走った目をした妻と息子だった。「どうしてすぐ帰ってきてくれなかったんだ父さん!何度もメールしたのに!」「落ち着きなさい、アンドレイ。任務中に私用メールなど読めるわけないだろう」今のところ、ユニオンともAEUとも戦争状態にはないが、西部に内乱の兆しがある。裏にいるのが「カタロン」か「アロウズ」か、情報が錯綜しており、ほぼ全ての兵が待機状態。この有様で、職務を放り出せるわけがなかった。「マリーもソーマも帰ってこないのよ」「2人で出かけたのか?」「いえ、別々に……それどころか、ソーマはマリーのふりをして出かけたらしくて」「何?」「昨日の昼間、ハプティズム兄弟の使いだって女の子が来て……ハレルヤに会いたいといって、出て行ってしまったんだ」「そして、それきり帰ってこない、と……」アレルヤ・ハプティズムは現在拘束中だ。弟のハレルヤ・ハプティズムにも同じ疑いがかけられているが、目下逃亡中。ただ表沙汰にはなっておらず、子供達にも私は伝えていなかった。それがこんな結果になるとは……。「使いの顔は覚えているか?」「まだほんの子供だった……ツインテールで、なんだか変わった喋り方をしていたっけ」「顔は?」「顔は……」「お前は士官学校で何を教わったんだ!」誰だ士官学校を2年制にしたのは。特徴ある髪型と口調に誤魔化されて、肝心の顔をよく覚えていないとは我が息子ながら情けない。「その子供も、何かの工作員かもしれん」「まさか……」「テロリストとして育てられる子供も、世界中にいる」そうだ。子供であることなど、何の保証にもならない。だがマリーはどうなんだ?私の娘も、まさか、テロリストの仲間に入っているというのか。ホリーは俯き、アンドレイはまだ成り行きが信じられないのか、ただ呆けている。そこに、ドアフォンの音と「ただいま」というどこか疲れたような声が、ピント外れに鳴り響いた。「マリー!」アンドレイが止める間もなく玄関に突進し、ホリーが逆に寝室に駆け込んだ。私は少し迷ったが、玄関の方に行くことにする。「朝帰りしてごめんなさい。なんとかアレルヤと会えないかと思って……」大して反省してない顔のマリーは、大きいトランクを引き摺って息を切らせていた。……とりあえず、他の気配はない。「兄さん、これ上に上げてくれないかしら。重くて……」「ああ……って本当に重いな!」「でもアレルヤならこれくらい平気よ?」他の男と比べられてむっとしたのか、アンドレイは(本当に重そうに)そのトランクを家の中に引き上げる。と、その瞬間、(意図的にロックを外されていたのだろう)トランクが割れ、中身がが転がり出た。マリー……と、同じ髪型をしたソーマが、マリーのコートを着て、その胸が……。「ソ」ソーマ、と呼ぼうとしたのだろうアンドレイが、シュポッという気の抜けた音とともにひっくり返る。マリーが手に構えたものは、あれは銃なのか?マリーは平然とした顔で私にそれを向け、次の瞬間、ホリーが私を突き飛ばすようにして私達の間に立った。しかしそれはほんの一瞬のことで、次の瞬間には私の足元に崩れ落ちている。マリーは躊躇わず3発目を撃とうとしたが、今度は私のほうが早かった。ホリーがとっさに私に渡してくれた銃で、マリーの利き腕を撃った私は、娘に「動くな」と命じる。痛みで銃を取り落としたマリーは、しゃがみ込もうとするも諦め、3つの死体を挟み私の前に堂々と立った。「ねえ父さん。双子条例ってなんのためにあると思う?」兇悪無比の殺人者は、真面目な顔でそんなことを私に問うた。「それはね、スパイ防止のためよ。同じ顔の、別の考えの人間がいたら困るからよ。随分浅はかだと思わない?背格好さえ少し似てれば、整形で誰でも別の人間に見せかけられるのにね」「同じ顔だから、ソーマを……妹を殺したのか?」同じ顔で、自分に化けたから殺したというのか。とても信じられなかった。しかしマリーは平然とした顔で、肩を竦める。「運が悪かったのよ。あの子も、「私たち」も本当に運が悪かった……。あの女の子が私を知っていれば、彼の元にソーマを連れて行かなかったのに。それ以前に、あの時家にいたのが、ソーマじゃなくて私だったらよかった。そうしたら私は1人で消えて、「貴方たち」に災いをなすことはなかったのに」「運が悪いって……それだけなのか?」「安心して父さん、ソーマを殺したのは私じゃないわ。ソーマを殺した人は、私に手違いをちゃんと謝ってくれた。大体彼に悪気があったわけじゃないのよ。私の顔を知らない使いを寄越したのだって、この家を巻き込まないためだった」マリーの、否、人の言葉とは思えなかった。私と同じものを見て、同じものを食べて暮らしてきた「家族」とはどうしても信じられなかった。「……何故私たちを殺すんだ」「ソーマ殺しを私のやったことにするためよ。せめて、兄さんがあの使いの子をみてなければよかったんだけど、まあ済んだことは仕方ないわ。大事なのはこれからどうなるかだもの」「これからって……お前の「これから」はどうなるんだ?」「私のことなんて、心配しなくていいのよ、父さん。大願成就まで生きていられるとは思わないし、きっと酷い死に方をするでしょう。でも、それでも構わない。この世界を変えられさえすれば、ね」「世界を、変える……」それは、双子条例や、里子制度や、連座制や、その他の不都合な掟に縛られたこの世界を壊すということだろうか。それだけなら私にも理解は出来る。しかしそれに、全てを擲つというのは、「正気の沙汰ではない……」「私からすれば、この世界が狂気そのものよ」そう言ったマリーの目は、どういうわけか、全く正気に見えた。「父さん。私を殺す気がなければ、おとなしく死んで頂戴。生き残りたいなら、構わないから私を撃って」「他に道はないのか?」「あるわけないじゃないの」そうだ、そんなものはない。私にできるのは、マリーを殺すか、当局に引き渡すか、どちらかだ。義理の娘とはいえ、妻と息子を殺したテロリストを、このまま逃がしたり匿ったりするほど、私の懐は深くない。頭を狙ったつもりだったが。何故か肩を貫いていた。マリーは撃たれるまで身じろぎもしなかったので、多分私が無意識にやってしまったんだろう。マリーはよろめいてドアに手を突くと、「痛い……一気にやってくれればよかったのに」と呻くようにいった。「どうせ死ぬんだから」私は死なせたくない。そう伝えるチャンスは二度と来なかった。ガラスが割れる音が響き、あっと言う間に炎が玄関まで雪崩れ込んでくる。私はその時になってやっと、これまで用心深く立ち回ってきただろうマリーが、銃を構えた私を相手に悠長に持論を語った理由を悟った。時間稼ぎだ。マリーが制限時間内に戻らなければ、社宅ごと焼き尽くす、最初からそういうプランだったのだろう。私を殺せないと踏んだマリーは、その瞬間、私とともに死ぬことを選んだ。命を捨てて「彼」とやらに追及の手が伸びるのを阻止したマリーは、あっという間に炎に包まれ、家具と見分けがつかなくなる。同じように焼かれながら、私が思い出したのは、養子にいくのを嫌がってむずがる小さいマリーの姿だった。ソーマ1人を養子にとることができたら、少なくともこういう展開にはならなかったはずだ。一体何を怨めばいいのか、と聞けばマリーはこう答えるだろう。「この、世界」