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2005/01/02
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カテゴリ:つれづれ
新年早々、どーしようもないことをこれから書きます。

まず、これを見て気分を害する人、腹がたつ人がいると思います。だからそういう人は見ないで下さい。そんなことを、誰もが自由に閲覧できるネットで公開することが如何なものか、そういうことを言う人も見ないで下さい。前置きでハッキリ言っておきます。方向性として、宗教の話もありますので。特定の宗教を信じている、そういう方が前出の項に当てはまると思います。


まず、俺はいわゆる「無宗教」と分類されるものに属していると思われます。正月には初詣に行くし、お盆には墓参りするし、クリスマスにはケーキを食います。要するにごっちゃまぜ。神社で神頼みすることもあるし、お墓に向かって手を合わせたりもします。

ハッキリ言って節操ないです。だからと言ってこれらを確実にやってるかって言うとそうでもない。やる必要性を感じないから。要するに「信じてないから」

俺の部屋には仏壇があります。これは俺の兄貴にあたる人のものです。でも手を合わせるのはお盆の時くらいです。これは仏教的考えがあっての行為です。でも俺は仏を信じてはいない。

今日初詣に行ってきました。神様に手を合わせ、破魔矢を購入してきました。でも神を信じてはいない。


じゃあ何でこういう行為をしたか。「するべき」又は「した方がいい」と言う周りの言葉があるから。でも、本人はその必要性を感じていない。単なるイベントの一環として、やっているだけ。

クロスが好きで、シルバーアクセにクロスが多いけど、別にキリスト教を信じているわけでもない。


俺は俺みたいな日本で言われるいわゆる「無宗教」の人間が、自分の周りの大半を占めてると勝手に思ってた。でも実際はみんな、自分の信じるものを持っている。

ある特定の宗教を信じる人がいる。その人は墓参りはしないし、初詣も行かない。行ってもいいけど、手を合わせてはいけないらしい。祈ってさえいれば、どんなことも叶うんだそうだ。病気で苦しんでいた人が嘘のように完治するらしい。医者も驚いたそうだ。

ある特定の宗教を信じる人がいる。その人は違う宗教を人殺し集団と言った。信じていれば、例えどんな生き方をしても(人殺しをしても)成仏できると言った。この人も医者がびっくりするような回復があったりすると言っていた。



俺は無宗教だ。どんなにその宗教のよさを言われた所でなんとも思わない。思えない。俺は不幸だと思う。



宗教ってなんだろう。人が生きていく上で拠り所にするものであると定義すれば、人生の支えであり、道しるべになるものだろう。こういう方向性で生きていけばきっとうまくいく、そういったものであろう。人をみな同じベクトルに進ませるためのものでしょう。だから異教徒間では紛争が絶えない。向いている方向が違うから。


俺は無宗教だ。信じているモノと言ったら「自分」かもしれない。こう、と決めたらそうしないと気がすまない。自分で決めたことならもし失敗したり間違っていても自分のせいだと思えるし、うまくいけば俺ってすげーじゃんでカタがつく。
何かを信じていると、うまくいかなかった時に裏切られた、と感じることがあるかもしれない。だから俺はいつも自分が直感的に思ったものを信じる。右と左があって、右!と最初に思ったら絶対に右にする。

人はその姿を見て、俺のことをどうしようもない頑固者だと言う。むしろ罵る。もっと柔軟になれ、と言う。
これは俺の中で納得できない。いつも客観的にモノを見るように考えてる俺は、前もっていろいろ柔軟に考えているつもりでいる。決断時には柔軟な考えを持って一つの答えを出している。その答えは自分が散々考えてだしたものだから変えたくない。だから答えを出す時は動かない。だから変えない。これが頑固に見える。


自分がこうだ!と思ってることは絶対に変えたくない。それは俺が何かの宗教を信じて拠り所にしていない以上、信じられるものが俺以外に何もないから。きっと、自分で対処できないような問題を抱えた時、俺は潰れる。人が何かにすがっていくことを俺は自分の中に抱え込む。一生懸命消化しようとする。人一人の力なんてたかが知れてるから、厳しいことになることはわかってる。

でも、俺は自分を信じて行動したい。
哀れんでくれるならそうしてくれ。愚かだと思うならそう思っていればいい。これが24歳の今の「俺」であって、今までの積み重ねの結果なんだから。


この性格が営業に向いてないことなんてわかってる。辞めないと言ったが、限界を感じれば辞める。

親にどう思われようが、ウチの人間じゃないと言われようが、これが俺。


狭い世界に生きてると言われようが、愚かだと言われようが、今は考えを変えるつもりはない。

道も家もいろいろ勉強した。俺は中庸が好き。中道も同じか。兼愛をよしとも思うし、隣人愛だっていいんじゃないか。俺の考えと反するから、と言う理由で排除はしない。そういう考えもあるだろうと思うから。いつでも客観的に物事を考えるように努力をしてる。でもまだまだ足りない。


先輩に先日指摘された。いつも客観的に考えるようにしてる割にはそれはないんじゃないか、と。そう、先輩に言われることによって俺はまた気づいて考えることができるんです。気づかなかったのは俺の未熟。甘えかもしれないが。





と、だらだらと自分の考えを書いてみた。
長々書いたんできっと最後まで読んでる人はいないと思う。自分で回顧できればいいテキストなんで。
最後まで読まれたあなた、ガキ臭いとお思いでしょう。まだ俺はガキみたいです。でも、こんな俺の中にも、一本、どうしても曲げられないものがあると思うんです。それをどうやって見つけるか、まだまだ勉強です。




書き終わって読み返すと矛盾点がたくさん。でもこれが、この矛盾が今の状態を表しているのかもしれない。矛盾を一つずつ、解いていく1年にしよう。






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Last updated  2005/01/02 01:11:44 PM
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