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富士山と大山の東西の西端の出雲を要とし飛鳥を国土中心とした 『大和朝廷の神々の日本設計図』

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2010/10/15
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久能山東照宮本殿と駿府城天守閣台

 現出雲大社本殿は延享元年(1744)徳川吉宗の時代に幕府からの援助で建て替えられた社殿であるが、本殿と出雲国造家千家が出雲大社の前に奉斎していたとされる熊野大社本殿の方位先に正確に徳川家康が死去後に埋葬を命じた久能山東照宮本殿に至る。隠居城駿府城で元和二年(1616)に徳川家康は亡くなったが、遺命により埋葬された地が久能山東照宮のある場所で後に日光に移される。家康の死去に関して久能山東照宮に埋葬する事が遺命との伝承があるが、久能山東照宮本殿と三河松平東照宮本殿を結ぶ方位先に、熊野大社奥宮天狗山に至る。日光東照宮禰宜の高藤晴俊氏の「久能山は駿府城の本丸」と家康が云ったとあるが、久能山東照宮と駿府城天守台を結ぶ方位先は三川権現社のある三川山に至る。

 

出雲大社-真名井神社-倭文神社-三川山

出雲神名火山茶臼山      -三川山-鹿島神宮奥宮

花窟神社 大井神社久能山東照宮 

三川山 -駿府城- 久能山東照宮

 出雲大社        -熊野大社-  久能山東照宮

出雲大社摂社伊那西波伎神社-安土山-  久能山東照宮

天狗山(熊野大社奥宮)-三河松平東照宮-久能山東照宮

 

 家康の隠居城の駿府城は、今川館跡に家康が豊臣秀吉に関東に移封される前に築いた城である。徳川幕府成立後に再度隠居城として大修築された。徳川家康がこの地に拘った神社鎮座関係がある。現在の江戸時代造営の出雲大社本殿位置と現熊野大社本殿の正確な方位先は久能山東照宮であるが、平成の発掘跡位置から熊野大社本殿位置を延伸すると安土山の佐々木六角氏居城跡の観音正寺を通り正確に駿府城天守台に至り、熊野本宮大社大斎原と鹿島神宮本殿を結ぶ方位先に正確にある。今川館の拠処であった関係であろう、

 

前出雲大社本殿-熊野大社-観音正寺-駿府城

駿府城    -浅間大社-  浅間大社奥宮

熊野本宮大社大斎宮-駿府城- 富士山剣ヶ峯

 

 徳川家康は岡崎城で誕生したと云う。物部神社(安土山と同緯度)と平安宮大極澱跡(宇佐神宮と安土山の方位上)の方位先、熊野速玉大社と伊勢神宮外宮境内別宮風宮の方位先、大和三山耳成山と三輪山の方位先、金剛山と檜隈廬入野宮跡(伊勢神宮内宮と伊弉諾神宮の方位上)の方位先に岡崎城天守閣がある。

 多賀大社のある地を徳川家譜代の井伊家が幕府から与えられた事を意識した関係がある。多賀大社-井伊家下屋敷-富士見櫓の関係で、後になり明治神宮本殿が鎮座する。彦根城は駿府城と名古屋城の方位(各天守閣位置は外れる)にあるが、正確に久能山東照宮と丹後元伊勢皇太神社を結ぶ方位線上に彦根城天守閣位置がある。

 

丹後元伊勢皇大神社-彦根城-名古屋城内-久能山東照宮






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Last updated  2010/10/16 01:45:01 AM
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