カルトな史跡案内
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2008.11.12
コメント(88)
孟嘗君の鶏鳴狗盗の故事で有名な函谷関です。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.11.11
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中国・西安にある世界遺産、兵馬俑です。秦の始皇帝陵を守るためつくられました。特別なツアーで行ったため、通常より2メートル下、かなり近くで見ることができました。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.11.10
ミケーネ遺跡から出土した黄金のマスクです。前16席前半のものとされています。アテネの国立考古学博物館蔵。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.11.09
アテネのアクロポリスにたつパルテノン神殿です。創建は前12世紀。ペルシア戦争のときに破壊されましたが、ペリクレスによって再建されました。現在、大気汚染の影響で崩壊の危機に瀕しています。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.11.08
曹操が献帝のために建てた儀式用の台、イク秀台です。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.11.07
後漢から魏への禅譲の儀式がおこなわれた受禅台です。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.11.06
関羽が曹操のもとを去るにあたり、別れを告げた地とされる覇陵橋です。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.11.05
春秋楼。関羽が曹操に下った際、居住していたとされる場所です。中には巨大な関羽像があります。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.11.04
トウ貴妃のお墓です。現在は公園になっています。墓碑がないので、地元の古老に聞かないと、探し当てるのは困難です。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.11.03
伏皇后の墓です。付近は道が悪く、大型バスは入れません。雨が降ると、徒歩でも近づくのは困難です。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.11.02
名医カダのお墓です。カダの像をまつる祠も併設されています。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.11.01
狩猟のおり、曹操が献帝に不遜な態度をとったとされる射鹿台の跡です。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.31
徐庶の母親の墓です。『三国志演義』では、曹操の計略にひっかかった息子に腹を立て、自害したことになっています。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.30
徐晃の墓です。麦畑の中にぽつんとあります。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.29
馬騰のお墓です。王允の墓とは違い、こちらは雑草がきちんと除去されていました。
2008.10.28
美女連環の計で有名な司徒・王允の墓です。当初は長安に葬られましたが、のちに献帝の命令による許都に移されました。人民政府によって建てられた石碑があるらしいのですが、雑草に埋もれて見つかりませんでした。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.27
官渡の古戦場に残る、曹操が馬をつないがとされる木です。もちろん当時の木ではなく、何代目かのものだと思われますが。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.26
官渡の古戦場跡に残る古い井戸です。曹操が使った井戸といわれています。都合により、明日から10日間ほど更新をお休みします。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.14
紀元200年、曹操は官渡の戦いで勝利をおさめ、華北の覇権を握りました。写真は古戦場跡にたつ曹操の騎馬像です。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.13
中国・春秋時代の魯の国城壁跡です。わずかながら残っています。魯の孔子の生まれた国です。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.12
エルサレムの嘆きの壁です。古代のエルサレム第二神殿の壁の遺構だといわれています。この壁の上は現在ではイスラームの聖域になっています。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.11
河南省虞城県にある花木蘭のお墓です。ムーランの出身地については、ここと安徽省ハク州市がうちこそ本物であると本家争いをしています。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.10
ウィーンの美術史美術館横の広場にあるマリア・テレジアの像(上)です。下には彼女を支えた重臣たちの像があります。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.09
冷戦時代の生き証人、ベルリンの壁です。現在も一部だけ保存されています。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.08
江蘇省宿遷市の項王故里にある虞姫の像です。スレンダーで八頭身の女性につくられています。実際はどういう容姿をしていたのか、興味のあるところです。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.07
殷王朝創業の功臣、イインの墓です。イインの母は洪水のなかを奇跡的に生き延び、イインを産んだといわれています。
2008.10.06
中国・戦国時代、それぞれの国が国境に長城を築きました。写真は斉の国が魯の国との境に築いた長城です。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.05
孔子の弟子、顔回をまつった顔子廟です。顔回は弟子のなかでもっとも優秀で、孔子は顔回の訃報に接したとき、「天われを滅ぼせり」と嘆き、慟哭したといいます。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.04
ペロポネソス半島の付け根にあるコリントス運河です。1893年につくられました。幅23メートルと狭く、大型船は小さな船に牽引されていきます。現在でも使用されています。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.03
清の太祖ヌルハチの生家です。彼の父タクスは味方であるはずの明軍に誤って殺されました。「プラン・ジャパンを応援します。 www.plan-japan.org 」
2008.10.02
花木蘭祠にあるムーランの像です。実に凛々しい姿です。「私はプランのスポンサーです。 www.plan-japan.org 」
2008.10.01
南宋の名将、韓世忠の妻、梁紅玉の像です。彼女は夫とともに戦場に出て、陣太鼓を打ち、士気を鼓舞したといいます。写真は彼女の出身地である江蘇省わいあん市の市内にあるものです。市内には彼女の祠もあったのですが、近年の再開発の波にのまれ、なくなってしまいました。再建されることを切に望みます。
2008.09.30
湯王を補佐し、殷王朝の創建に多大な功績のあったイインの像です。河南省虞城県のイイン祠墓にあるものです。
2008.09.29
古代ギリシアにはいくもの神託所がありました。そのなかで最も権威の高かったのがデルフィです。写真はデルフィのアポロンの聖域にあるアポロン神殿の跡です。創建は前6世紀。現在残るのは前370年ころに再建されてものです。
2008.09.28
劉邦の武将、紀信の墓です。紀信は漢軍敗走の際、みずからすすんで劉邦の身代わりとなり、項羽によって殺されました。
2008.09.27
ギリシアのエピダウロスに残る円形劇場です。紀元前4世紀のものです。1万4000人の観客を収容することが可能で、現在でも劇場として使われています。エピダウロスは癒しの神アスクレビオスの聖域でした。
2008.09.26
徐州・戯馬台にある項羽の像です。項羽はここで馬術競技を観覧したといいます。
2008.09.25
ミケーネ遺跡のアトレウスの宝庫です。ミケーネにある9つの墓地のうちの一つで、アガメムノンの墓とも呼ばれます。この名はシュリーマンが、ここをホメロスの叙事詩「イリアス」に出てくるミケーネ王アガメムノンの墓と勘違いしたことによっています。
2008.09.24
韓信が十面埋伏の計で項羽を破ったとされる九里山の古戦場跡です。岩壁に描かれている題字は中国の前国防相のものです。
2008.09.23
ギリシアはミケーネ遺跡の獅子の門です。ミケーネ文明は前16世紀ころから栄えた文明です。遺跡は1876年、ドイツ人のシュリーマンによって発見されました。「獅子の門」の名前は、門の真上にある獅子の浮彫に由来します。二匹の獅子が向かい合い、祭壇の上に前足を載せている姿は、ミケーネ王の権力の象徴と考えられています。
2008.09.22
王陵は劉邦配下の将軍です。項羽は王陵の母親を人質にとりました。王陵の母は息子にあくまで劉邦に忠節を尽くすよう言づけし、自害して果てたといいます。写真は徐州市の燕子楼公園内にある彼女の墓です。
2008.09.21
メキシコのラベンタ遺跡公園にある巨石人頭像です。紀元前12世紀ころから栄えたオルメカ文明のものといわれています。顔立ちはネイティブアメリカンではなく、アフリカ系のようにも見えます。
2008.09.20
張作霖・学良父子が公館として使用した張氏師府です。最近になって公開され、人気の観光スポットになっています。1930年代の女学生ファッションに身をつつんだ美人コンパニオンが案内をしてくれます。思わず萌えてしまいました。
2008.09.19
イエスが洗礼を受けたヨルダン川です。聖書にはこうあります。イエスがガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバブテスマをお受けになった。そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのをご覧になった。そして、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」(マルコの福音書)
2008.09.18
項羽と劉邦が対峙し、和議を結んだところは、現在、漢覇二王城と呼ばれています。大きなくぼ地をはさんで、東側が覇王城、西側が漢王城です。写真は覇王城ののぼり口にある項羽と范増と虞姫と像です。
2008.09.17
聖墳墓教会の中にある塗油の石です。イエスの遺体はアリマタヤのヨセフによって十字架から降ろされ、この石の上で油を塗られたそうです。
2008.09.16
項羽の故郷である江蘇省宿遷市にある項王故里です。項羽手植えの古木や当時の井戸、飼葉桶などが残っています。
2008.09.15
ヴィア・ドロローサの第10~14ステーションは聖墳墓教会の中にあります。写真は第12ステーション。イエスが十字架上で息を引き取ったとされる場所です。
2008.09.14
劉邦が英布の乱を平定した帰りに使用したとされる井戸です。口のところに縄の跡が残っています。
2008.09.13