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小袖の歴史と趣味の部屋

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2005年06月18日
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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:義経
今しがた大河ドラマ「義経」の再放送を見まして、この間みた時の補足を書こうと思います。

義仲が後白河法皇に召しだされた時に、行家が左に義仲が右に座っていましたね。
左の方が格が上なんですよ。
左大臣が右大臣より偉いのと同じなのです。
これは、法皇が義仲と行家を仲違いさせようとして、わざとそのように座らせた策略なのです。
義仲は「総大将はわしじゃ~!」と怒ってましたね。
後白河の策略は序々に義仲に不信感を植え付けていきました。ホント上手いですね。さすが法皇は朝廷にあって、生き残ってきただけのつわものですね~。
義仲の敵ではなかったかもしれません。

この二人の京での住まいは、義仲は六条西洞院の大膳大夫業忠の館をあてがわれ、行家は法住持殿の南殿と称される萱の御所を賜った。
義仲の館は御所から遠く離れ、行家は法皇の後座所の敷地内です。
いくら都の作法に疎いとはいえ、これだけあからさまにやられると、いくら義仲でも心は穏やかじゃなかったと思います。
巴が「だからあの時、差し出しておけば良かった」と言いますが、まったくその通りですね!

『玉葉』の中で「参入の間、かの両人相並びあへて前後せず。争権の意趣これをもって知るべし」
とこの時の事を述べています。

そして、義仲を粗野で荒っぽい人物のように描いていますが、「平家物語」では色が白く良い顔をしていると書かれています。
「源平盛衰記」でも容貌は清げで美男とあります。

西国に落ちた平家ですが、福原に寄りまた西へ落ちていきますが、私はどうしてわざわざ九州に行くのだろう?
と疑問に思っていたのです。後に一の谷の合戦が繰り広げられるのであれば、福原でも充分ではないかと思ったのです。

貿易の拠点でもあり、九州の平家よりの諸将を頼りにしていたと言われていますが、
私は義仲の軍勢が怖かったため、できるだけ遠くに逃げたかったのではないかと思っています。
後に、勢力を盛り返して屋島に御所を置きますが、最初から四国にも当たりをつけても良かったですよね。

「平家物語」にある、維盛と妻子の別れのシーンもなかったので、ちょっと残念ですね!!

明日の続きが楽しみです。義経と義仲はどのように戦うのでしょうか??

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最終更新日  2005年06月18日 22時04分26秒
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