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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:義経
平氏攻めには参加させてもらえず、都に残った義経ですが、郎党たちの不満を抑え検非違使としての仕事にいそしみます。
夜盗を抑えるために、昔馴染みの朱雀の翁に渡りをつけ、皆を説得するなんて義経らしいですね~。 後白河法皇はそんな義経にまたも魔の手をのばしてきます。 平氏が去った今、自分を朝廷を守護するものは義経をおいて他にはありません。 頼朝は法皇の呼び出しに応じず、鎌倉を出ようとはせず、思いどうりになりそうもありません。 義経なら純粋だし、人物もまずまず、戦いも上手で人気もある。 彼に白羽の矢を立てて、後白河政権の後ろ盾にしようと考えたのです。 これが昔からの後白河法皇のやり方ですね! 頼朝は判官の官位を受け取ってしまった義経に腹を立て、平家攻めから外しましたが、都で法皇の近くに置いていく方が 危険だったかもしれないですね! 義経は鎌倉からの昇進の許しの返事がないのは、自分を認めたと思い込み とうとう従五位の下と院の昇殿を許される昇進を受けてしまいます。 その頃、苦戦しているという範頼ですが、戦況はこうです。 都を発進した範頼は備後から安芸(広島県西)、周防(山口県東部)へと進みます。 九州から屋島を挟み撃ちにする作戦だったようです。 そうはさせじと平氏は、備前の児島に平行盛を派遣しました。 範頼は愕然としました。 今、児島を押さえられたら退路と補給が絶たれるのです! 範頼は佐々木盛綱を児島に向かわせたのです。 勝敗はなんとか源氏が勝ち、面目をほどこすのです。 しかし、この勝ちに気を良くした範頼は西国から九州に突っ走ろうとしてまうのです。 下関まできた範頼軍は山口県の下関で九州に渡る舟がなく、立ち往生してしまいます。 食料は乏しくなってくるし、士気は衰えるばかりです。おまけに現地で食料や物資を略奪したので、 現地人の反感を買い孤立してしまいます。「侍大将の和田義盛が帰りたいと言ってる」と政子が言ってましたね!! 範頼には今回の討伐軍は荷が重すぎたのですね~。ドラマでは少しも出番がなかったですね。 範頼に変わって報告させていただきました(^^) 頼朝は分かっていながら義経にこれ以上増長させてはならんと、 討伐軍には参加させなかったのですが、結局義経を登用しなければばらなくなりました。 元暦二年(1185)一月十日、頼朝から義経に屋島攻撃の総大将に任ずる、下文(命令書)がきた。 この時の頼朝からの下文の宛名に九郎判官義経と書いてあったので、義経は頼朝から許されたと思い込んでいたのです。 やっと義経は戦に出陣できると喜ぶのでした!! 義経への下文と共に、後白河法皇へも相聞状が届けられたのです。 後白河からも、義経を屋島攻めの総大将にするように宣旨を出して下さいというものです。 でないと勝手に戦いをおこした逆賊にされてしまう恐れがありますものね! しかし、頼朝の相聞状には義経の事だけではなく、朝廷の委任したはずの数々のまつりごとに干渉するものもありました。 頼朝の武家政治は序々に法皇を圧迫し始めるのです。法皇は思ったこう思ったはずです 「やっと平家を追い払ったと思ったのに平家の次は源氏か…。」 益々、法皇は義経を取り込もうとするでしょうね~~~! ちょっとやさしくされたくらいで、負けちゃだめだよ~義経!!それが法皇の手なんですよ~~!! もしよかったらクリックして下さいね!歴史blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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