2024/03/04(月)11:12
名古屋のおやじ寄稿 小澤征爾さん 思い出
『名古屋のおやじ』こと松崎博教授御近影
Photo: ©Shevaibra, courtesy of Hiroshi Matsuzaki
昨夜来の指揮者小澤征爾氏の訃報に接し、英語英米文化学者『名古屋のおやじ』さまから貴重なリポートをいただきましたのでご許可を得まして掲載させていただきます。
***
Sheva さま
小澤征爾さんが亡くなりましたね。昨年、職場の「博物館」の展示で、小澤さんのキャリアを辿るコーナーを作りました。NYフィルの初来日に副指揮者として帯同した際のプログラム、N響とのメシアンの『トゥーランガリラ交響曲』日本初演の公演チラシ、そして「N響事件」後、当時の文化人たちが企画した彼の演奏会の模様を伝える『アサヒグラフ』などを手始めに、ウィーン国立歌劇場の音楽監督としての初来日公演くらいまでを扱いました。この展示の備段階で、音楽関係だけではなく、週刊詩などの雑誌記事などを読み、彼が音楽の世界にとどまらない大きな存在であったことを痛感したのですが、昨日からの様々な報道を目にして、更にその思いを強くしています。
正直に言うと、私はあまり彼の「良い聴き手」であったとは言えません。オペラを中心に彼の演奏に触れる機会ことが多かったせいかもしれませんね。国外での大きなオペラの上演・演奏を見据えてのことでしょう(また教育的な意味合いもあったでしょう)、ある時から定期的に小澤さんは日本でオペラを取り上げるようになりました。それなりの回数、彼の指揮するオペラ公演に接しましたが、耳元でメトロノームがカチカチ鳴っているような、違和感を覚えることもしばしば。新日フィルでの『エレクトラ』などは、その年に聴いた最悪の演奏会のひとつと言っていいくらいでした。しかし、キャストの力量の違いということもあるのですが、上野で彼が振った同じオペラは、以前とは違う見事なもので、卓抜な、音楽的「学習能力」を見せつけられた思いでした。
20数年前、小澤さんのボストン交響楽団の音楽監督として最後の演奏会をタングルウッドで聴きました。会場には小澤夫人、お嬢さん征良さん、小澤さんの弟さんの姿もあったように記憶しています。曲目はベートヴェンの『合唱幻想曲』そして、彼の「勝負曲」ベルリオーズの『幻想交響曲』。前者のピアノのソリストはピーター・ゼルキン、声楽陣には昨年、圧倒的なエレクトラの歌唱を披露したガーキーが含まれていました(彼女の名唱を耳にしながら、長いスパンでの声の熟成ということに思いを馳せていました)。
プログラムの曲目の演奏後、小澤さんはステージ上から、自分を受け入れてくれたアメリカの人々への感謝を伝える思いのこもったスピーチをし、その後、聴衆にも呼び掛けて、タングルウッドゆかりのランドル・トンプソン作曲の『アレルヤ』(プログラムには同曲の楽譜も挟まっていました)を指揮されました。『ボクの音楽武者修行』のなかに、小澤さんがタングルウッドで、初めてこの曲を耳にした部分があったと思いますが、タングルウッドで同曲を指揮しながら、彼の胸中には様々な思いが去来していたことでしょう。演奏会場では小澤さんの指揮姿を描いたポスターを買いました。後ろ姿なのですが、彼の美しく、そして雄弁な律動性をたたえた指揮姿を彷彿とさせるもの。これを購入した時に、現地のボランティアスタッフに声をかけられました。「日本から来たのかい?セイジは最高さ!!」。このような言葉を耳にして、改めて多くの人々から愛された小澤さんの人柄を思いました。
今日は小澤さんが残された音源や映像を視聴しつつ、故人を偲びたいと思います。まず、はじめは、サンフランシスコ交響楽団との『新世界』。以前、サンフランシスコへ出張で出かけた時、高台から西海岸のこの町を眺め、ゴールデンゲートブリッジと小澤さんの顔写真があしらわれたLPのジャケットが、すぐに脳裏に浮かんだ私の思い出の一曲です。
ではまた。
名古屋のおやじ
***
『名古屋のおやじ』さま、ありがとうございました。
Seiji Ozawa conducts Berlioz's "Symphonie Fantastique" at Tanglewood in 2002