昨夜、久しぶりにBSで映画を観た。『誰も知らない』というタイトルで、1988年、東京の「巣鴨子供置き去り事件」という実際の事件を基に映画化された作品。
とても映画とは思えないほど、悲惨な事件をドキュメンタリーのように描いている。この事件をやたらと「悲惨な」とか「可哀そう」など、形容詞で表現できないな、と思うほど、衝撃を受けた。
ストーリーは、実際に1988年朝日新聞で報道されたものと、少し異なっているが、大筋、次のようなものだ。
大人だか子供だか分からない「ギャルママ」風の母親が、11歳ほどの長男、明(あきら)を連れて、ある賃貸アパートに転居して来る。
大きなスーツケースは3つもあり、母親は「仕事でしばらく不在にしますが、息子はしっかりした子なので」と大家さんに挨拶する。
この明を演じた柳楽君は、現在は20歳でプロの俳優になっているが、目の表情が「意志が強く考え深い」点が魅力的だった。
部屋に荷物を運び込むと、驚いたことに、3つのスーツケースからは、10歳ほどの少女、7歳ほどの男の子、4歳ほどの女の子が「あー、きつかった」と出て来るのだ。
母親は大家さんに「家族は息子一人だけ」と嘘をついて、残りの兄弟たちをスーツケースなどに入れて転居してきたのである。
そして、子供たちに「ルールを守ること」などと言いつける。 「いい?外に出ていいのは、明だけだよ。他の皆は、お外に出ちゃダメ。ベランダにも出ちゃダメだからね、守れる?守れない子は、いけない子だよ」
母親は、しばらく「大阪に仕事に行く」と言って、20万ほど長男に渡し、3か月ほどして帰ってくる。そうすることが、巣鴨のアパートに転居して、2回ほどあったが、ある日、母親は、明とハンバーガーショップで話をする。
「あのねぇ、お母さんねぇ、今好きな人、いるんだ」
明はうんざりして、「...また?」と呆れる。実は、母親は、長男の父親(同棲相手)とは別れて、他の3人の兄弟たちも、それぞれ父親が違うーという、何とも不道徳な経歴の持ち主なのだった。
それを知る明は、ただ一言「お母さん、勝手すぎるよ」とだけ言うのだが、この言葉少なげな様子が、よりリアルな雰囲気が出ている。彼の深刻な心情を語っている。
それに対し、母親の方は、よく喋る。「あたしは勝手じゃないよ。あたしだって幸せになりたいんだもん。幸せになっちゃ、駄目なわけぇ?」などとピーチクパーチク息子に不満をぶつける。
それを黙って聞き、視線だけを母親に向けている、その寡黙さが、とても映画とは思えないほど真実味があった。
この親は、子供を小学校から行かせていない。
明が「学校に行きたい。いつ行かせてもらえるの」と尋ねると、「今はね、事情があって駄目なんだけど、そのうち...今、付き合っている人が、お母さんと結婚してくれたら、もっと広い家に引越して、みんな学校に行けるから」という言いわけが帰ってくるだけ。
また、長女が「お母さん、私、学校行きたい」と言うと、「学校?あんな所行っても仕方ないよぉ。学校なんて行かなくっても、偉くなった人、いっぱいいるもんね」などと拒絶する。
その年の10月頃、また彼女は明に20万ほどの生活費を渡した後、「クリスマスに帰るね」と言って、大阪に出かけて行く―それっきり、母親は2度と子供たちの元に戻らなかった。
歳末となり、クリスマスになり、明は近くのコンビニで、売れ残ったケーキが値下げされるのを我慢強く待ち、やっと1200円のケーキを買って、兄弟たちの待つアパートに帰った。
妹の京子は「ねえ、お母さん、帰ってこないね」と心配そうに兄に聞くが、明は妹を不安にさせまいと、「大丈夫。そのうち絶対帰ってくる」と言う。
この時点では、彼は本当にそう信じていたんだろう。
でも、年が明け、謹賀新年の張り紙が商店街に見られる頃、明はなじみのコンビニの女性店員に会いに行く。
その女性は、半年ほど前、明が「万引き」の疑いを店長からかけられた際に、「その子は何もしてません、他の子がその子の袋に勝手におもちゃを入れたんです」と説明し、窮地を救ってくれた人だった。
彼女に頼み、「お母さんからお年玉をもらった、と兄弟に渡したい」と相談したのだろう。その女性が、子供たちの名前と漢字を明から聞いているシーンがあった。
明は、その女性からポチ袋に入ったお年玉を、自分の分も含めて、「お母さんから」と手渡す。
兄弟たちと一緒に暮らしたい、大事にしたい、との想いから、一生懸命に家事をこなし、買い物、料理、家計簿の管理、ガス・水道・電気の支払い、残ったお金はATMに貯金する。
まだ12歳になったばかりなのに、そこまでする姿に心打たれた。というより、母親が身勝手であるため、そうせざるを得なくなったのだ。
しかし、生活費もだんだん底をつく。そこで、彼は、兄弟たちの父親(以前母親が付き合っていたので、顔見知りとなっていた)たちを訪ね、当座のお金を要求する。
それでも、彼らも無責任である。彼らには彼らの家庭がある。明の母親とは、一時の交際相手に過ぎなかった、とばかり、責任をとても持てない。とりあえず、1万円は渡すだけだ。
そうこうするうち、母親がいなくなって、初めての夏となる。
母親は、実際、長男には、連絡先を教えてはいたらしい。ある日、明は104をダイヤルし、母親の居所に電話する。
「ハーイ、山本ですぅ」聞きなれた母親の声。けれども、以前の「福島」という姓ではない。ここで、明は、初めて「お母さんは再婚して、俺達を捨てた」と知らされ、一言も発せずに電話を切ってしまう。
明は、彼女は「もう帰ってこない」と考え、兄弟たちを「ルールなんてもうどうでも良くなったんだ」とばかりに、靴を履かせ、公園へ、商店街へと連れ出してやる。
京子を始め、3人の妹弟たちは、1年近く、外に出ていなかった。ほとんどお金の足りなくなった彼らの食事は、カップめんばかり。そして、ある日、弟が気がつく。
「兄ちゃん、電気つかないよ」
電気・ガス・水道代の未払いが続いたため、ライフラインを停止されてしまったのだった。
彼らは、それから夜はろうそくを灯し、トイレは公園のを使い、洗濯・洗顔・洗髪ならびに飲み水を、すべて公園の水道に頼るしかなかった。
残った3千円ほどを前に、ある晩明が考え込んでいると、妹の京子が「お兄ちゃん、これ」とお年玉を渡す。
「お前ピアノ、買うんじゃなかったのか」
「いい。ピアノ、もういらないから」
これで、少し余裕ができ、兄弟皆でコンビニに出かけ、お菓子やパンやアイス、カップめんを買いこむ。しかし、お湯が無いので、カップめんに入れるのは水道の水だけ。
それらの食料も底をついた頃、弟が寝転びながら、口をもぐもぐさせていた。「何食べてんだよ」と口から出させると、何と弟は、紙切れを食べていたのである。
驚いた明は、残った小銭でカップめんを買い、公園で水を入れ、家に持ち帰って食べさせるー
一度はコンビニで「アルバイトをしたい」と言ったが、店長に「16歳にならないと駄目でね」と断られる。
もう母親が出て行って2回目の夏が来ていた。その頃には、皆元気がなく、痩せて、明も弟も、髪は伸び放題、着たきりの服もよれよれで、穴があちこち開いていた。
家はあるのに、家賃未払いで、まるで浮浪児が勝手にアパートの空き家に住みついているような感じになっていた。
そして、ある晩、末っ子の5歳になったユキが、高い所のコップを一人で取ろうとして、椅子に乗り、誤って転げ落ちる。
京子が悲しそうに、ろうそくを灯し、ぽつんと呟く。
「ユキ、もう背が伸びたんだ...スカート短くなっちゃったね」
明は、スーツケースを開ける。小さな妹の足に、サイズの小さくなったサンダルを履かせる。そして、ユキをケースに入れ、かちりと鍵を掛ける。
彼は、1年ほど前から知り合った、「学校に行っていない」という近所の中学2年生の少女と、そのスーツケースを持って、夜の電車に乗る。
行き先は、羽田空港近くの草むらだった。明は、以前、ユキに「今度、電車乗って、モノレール乗って、一緒に飛行機、見に行こう」と約束したことがあった。
しばらく、彼と少女は頭上の飛行機を眺めながら、その轟音を聞いていた。その後、夜明け近く、二人で地面に穴を掘り、ユキの入っているスーツケースを埋めた。
私は、これを見て、初めて「可愛がっていた末っ子が死んだんだ」とショックを受けた。親もお金もないから、大事な妹が死んでも、お葬式もお墓も用意できない。こうするしかなかったのだと。
明は、泥まみれになってケースに土をかけた後、少女と土手に座り込んだ。
「今朝、ユキの体に触ったら、冷たかった......何だか、気持ち悪かった......」
そうぽつんと言って、夜明けの空を見つめていたが、組んだ両手がかすかに震えていた。
-ここまで観て、『誰も知らない』というタイトルの意味が、本当に心に重くのしかかった。
「子供置き去り・養育放棄・児童虐待」の凄惨さに言葉も出ない。だから、どんな言葉も、「事件の真実」の前では無力だ。
母親が「子供は一人だけ」と嘘をついたり、長男以外の子供たちに外出を禁止したりしてその存在を隠し、また別の愛人と「育児が面倒」と逃げ出し、子供たちだけでアパートに暮らし、挙句の果てに、末っ子が死に、長男がその遺体を人知れぬ場所にスーツケースに入れて埋めてしまったー
これらの事実を「誰も知らない」と言うわけだったのだ。
実際の事件では、長男は、事件発覚時14歳で、妹が3人いたらしい。母親は、「しっかりしている長男に、他の子供たちの面倒を見させればいい、と思っていた。でもそんな考えは間違っていた」と、発見され、逮捕された時に話したらしいが、涙一つ見せなかった。
妹たちは、児童相談所に預けられ、長男は、「遺体遺棄容疑」で逮捕された、と酷い結果となった。
だが、その子の弁護士は「すべて母親がいれば、長男もそんな行動に及ばなかっただろう。末っ子が(当時2歳)亡くなったのも、母親不在が遠因でもある」と主張して、その少年は、小学校も行っていない、ということから、少年院ではなく、教護院に送られ、そこで教育を受けることになった、ということらしい。
この映画はカンヌ映画祭で上映され、上映後、5分間拍手が鳴り止まず、主演の柳楽優哉君は、14歳にして、カンヌ史上最年少で主演男優賞最優賞を獲得した。
柳楽君は、「僕たちは、この映画の台本を知らなかった。全部、監督がその場で台詞を教えてくれる。ただ、それを口にしただけ。だから、演じたという感覚はなかった」と語っている。
それだからこそ、あれだけ「演技臭くない」、静かでいながら、ある意味、真実に迫った作品となったのかもしれない。
こういった映画は、最近、都心でその実態や数も把握できないほど増えている「児童虐待」の真実を、真っ向から知るために、欠くことができない。
久しぶりに、重厚な作品を観たと感じた6月1日だった。