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人を巧妙に支配下に置き、相手を意のままに傷つける人の行動をモラルハラスメントという。略称はモラハラ。
私にもモラハラを行ったかつての友人がいるが、その友人のことは今はとても大切に思っている。 私自身の鈍さの反省もある。 そしてその経験が私自身が接する若者たちにモラハラ予備軍が多いと気付く地盤を与えてくれたからだ。 モラハラになった人物のことを憎んでいる人はとても多いと思う。 でも、彼らももともとは、プライドの高い少し内気な人だっただけなのではないかと、今いっしょに酒を飲んだりする若者たちを見ているとそう思う。 自分の気に食わない人物との酒だと挨拶もいわずに知らぬまにフェイドアウトしようとする。 それはそれで上手な処世と思い込んでいる節もあるが、相手をさげすんだまま、自分の価値観に誰もまったくふみこませない態度は危うい。 私自身も覚えがある態度だけに、余計そう思う。 モラハラの友人も若いときはきっとそうだったのではないかという確信がある。 自分とは違うルールで生きている世界の人々から、自分のこだわりで距離を置くうちに、いつしか自分のモノサシを他人にあてはめることに疑いをさしはさまないようになっていったのではないだろうか? 自分のモノサシと他人のモノサシとが違うということに気がつきかけていたのに、他人を嫌悪するあまり自分のモノサシだけを信じざるをえないというのは悲しすぎる。 こういう若者を見たときにただただ悲しくなってしまうのである。 かつて距離を置かれた他人として。 そしてその距離を埋められなかった友人としての記憶がよみがえって。 興味のある方は マリー・フランス・イルゴイエンヌ『モラル・ハラスメント;人を傷つけずにはいられない』が参考になります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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