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1万円札で有名な福沢諭吉の自伝である。
日常生活では福沢先生にご縁はないが、この福翁自伝でなら親しみを覚える。 もっともリンク先の楽天ブックスにある「自伝文学の最高傑作」などという言葉を鵜呑みになされないよう。 これは自伝であっても文学ではない。 むしろ幕末、明治を生き抜いた下級士族が世間の動乱をどのように渡りきってきたかというドキュメンタリーに近い。 現代の言葉でいうならノンフィクションだろう。 死の4年前、64歳のときに口述させたらしいが、あまりの記憶力の良さと語り口の闊達さに福沢の人生にどんどん引き込まれていく。 若い頃の福沢は大阪の適塾で修行していたのは有名な話。 さぞ秀才の集まりだろうと思いきや、どうもこの適塾、明治の学生につづいていく蛮カラの元祖であるらしい。 「夏は真実の裸体、褌(ふんどし)も襦袢もない真裸体(まっぱだか)」 喧嘩の真似事を街中でくりひろげるのもしょっちゅうで、若き日の福沢諭吉は「何でもこの野郎を打ち殺してしまえ。理屈をいわずに打ち殺してしまえ」と怒鳴りたてたこともあるとか。 おかげで適塾生といえば、大阪の街中で娘さんたちがよけて通るほどの存在だったとか。 その他、福沢は大酒飲みで酒の失敗談なども事欠かない様子。 なんでも子どもの頃に駄々をこねると、家族が「酒を飲ませてやる」と言って福沢を大人しくさせていたのだというから筋金入りだ。 そんな福沢だが、明治以降の政府に対する独立不羈の態度は有名だ。 某国首相も福沢の設立した慶応義塾の出身だが、独立不羈の態度はどうも伝授されていないようで。 それはさておき、なぜ福沢が明治政府に対し、距離を保っていたのか、この本を読むとよくわかる。 明治政府の役人の態度が癪に障っていたのだ。 「政府はその方針を開国文明と決定して大いに告示を改革すると同時に、役人たちが国民に対して無暗に威張る、その威張るのも行政上の尊厳と言えばおのずから理由もあるが、実際はそうでない。ただ殻威張り(からいばり)をして喜んでいる」 福沢にも立身出世の野望はあっただろうが、自らを卑しくしてまで明治政府に取り立てらることは自尊心が許さなかったのだ。 子どもの教育費のために、官立学校の校長の話が来たときに受諾するかどうかで苦悩する話などは、身につまされた。 一時の急場しのぎのために、人間、一番大事なものを捨てるべきではないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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