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2013/03/23
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カテゴリ:古代史系の妄想
「天武天皇の年齢研究」につづき、第2弾「継体大王の年齢研究」をamazonから購入しました。

私見をいくつか列挙しておきます。

1.神谷さんにもメールでお伝えしましたが、
  「天皇」という呼称が定められたのは持統天皇のころからとされます。
  それまでは「大王(おおきみ)」と言われていました。
  「継体」という謚は、奈良時代に淡海三船(天智天皇の玄孫)が神武から元正
  (弘文・文武除く)まで一気に命名したので、「継体」とつけられた時点で「継体天皇」
  だったわけで、「継体大王」って?
  神谷さんは著書の中で、「継体」のみ「大王」呼称にこだわり、前後の天皇は「天皇」
  と呼んでいます。
  著書を最後まで読めば、その理由がわかるそうです。

2.通説では、第26代継体天皇からを現代皇室につづく「新王朝」としています。
  私見は違います。
  まず、継体の皇子とされる29代欽明天皇より突然「蘇我氏」が台頭してくること。
  欽明天皇は蘇我氏が新たに擁立した別系ではないか?ということ。
  次に、日本書紀はその成立経緯や文体などから、欽明天皇から書き始め、持統天皇まで
  書き終えたあと、徐々に遡ってかかれたということ。
  日本書紀が欽明紀の初めに「昔の記録は汚損が激しく、解読しづらい記述が多々ある」

  これは聞き流すと「そうですか」で終わってしまいますが、「解読しづらい」にひっかかりま
  す。
  劣化による難解な文書でなく、他国語だから難解だったのではないでしょうか?
  つまり、欽明王朝と日本書紀編纂時の奈良王朝とは違った言語を読み書きする人種
  だったと思われます。

  通説では、初代神武から9代開化までを葛城王朝
  10代崇神から14代仲哀までを三輪王朝
  15代応神から25代武烈までを河内王朝
  26代継体から新王朝 (水野祐氏)

  ですが、私見はさらに細分化して
  26代継体-28代宣化 と 29代欽明は並立と思います。
  理由は息長真手王という人の娘2人が26代継体天皇と30代敏達天皇にそれぞれ
  嫁いでいるからです。
  これは継体と敏達がほぼ同年代に存在した傍証です。
  継体王朝と欽明王朝は同時に存在し、最終的に欽明王朝が継体王朝を併吞したと
  思われます。

  しかし、その欽明王朝(=蘇我王朝)も奈良時代の天武王朝とは別言語を話す人々と
  推定されます。

  平安京が1100年続いたことから推察すれば、現皇室は桓武天皇の末裔であろうことは
  ほとんどの人が異論がないと思います。
  その桓武の父光仁の祖父は天智ですから、現王朝の直系の祖先は天智どまりではないか?
  ということです。

  これにも傍証がいくつかあり、皇室の私的菩提寺「泉涌寺」は天智を初代としています。
  百人一首の有名な1番「秋の田の」天智天皇からはじまり、100番順徳天皇で
  終わっています。

  つまり、日本書紀は継体・欽明時代を故意にゆがめたのではなく、
  古い木簡に書かれた他国の言語を解読しきれなかった結果であると私は思っています。






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Last updated  2013/05/01 09:40:50 PM
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