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2003.01.19
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カテゴリ:カテゴリ未分類
最相葉月著・小学館文庫
 
 数年前のベストセラー。文庫化されてようやく手にとりました。
音楽に関心があるひとなら知っているという「絶対音感」という言葉も、私は知らないでいて、この本が話題になったとき特別な才能=自分には縁のない話という印象がありました。
 ところがこの絶対音感を身に着けている人が、日本人に多いという事実があり、諸外国を驚かせているという。著者は音楽家たちへのアンケートや丹念な取材を通じ、その理由を追い求めていきます。
 日本で絶対音感が広まったその最初には、西洋の音楽事情に感銘を受けて日本人もその基礎が身に着いていれば音楽が楽しめるのではないか、と考えたある人物の思いがあったこと。それはピアニスト園田高弘氏の父であり、園田氏が実験台となって絶対音感を身に着けるための教育を受ける。そのメソッドが共感した人々によって広まり、今ではヤマハなどの巨大音楽産業によって一般に普及したという歴史が私たちの前にひもとかれます。
 つまり訓練しだいでだれでも持つことが出来る。
 
 ところが著者はその弊害というものを示して見せます。絶対音感や音楽のテクニックがいかに向上しても、人の心を動かす音楽にはならない。日本人の欠点。絶対音感をもつことで音が少しでも狂うと気分が悪くなったり、音の変調についていけなかったり、歌の意味が心に入ってこなかったり。著者は「持っていれば便利。時にはやっかい」という言葉で示している通り。

 素人からすれば、音を聞くとたちまちピアノを弾いて再現できるとか聞くとうらやましい。でも両刃の刃なんですね。絶対音感というのはピアノの平均律でのはなし。民族音楽とかピアノ以前の楽器になると通用しない。そうなのだ。私たちが使っているドレミだってある時代に決められた音階にすぎない。オーケストラによって、また時代によって、基準となる音の周波数も変わっているというのだから。実は「絶対」というものはないのかもしれない。
 多くの音楽家の話から、結局「相対音感」というものを磨かないと、豊かな表現はできないということがわかってくる。本当にすぐれた音楽家たちは絶対音感を持った上で、それを克服する努力をしているというのです。
 単に将来便利だろうからと音楽教室で絶対音感を身につけさせ、それが終わればもう用なしといったふうに教室をやめさせる親が多いという。その先が大事なのに。
 この本の最後は絶対音感教育を受けた天才バイオリニストの五嶋みどりとその母、節さんの物語でしめられています。節さんはその教育について批判され、つらい思いをしたり、娘に対してすまない気持ちなどもあったらしい。でも彼女は最後まで自分が引き受けた。教える立場として耳を肥やし、方法を試行錯誤し、必要とあらば娘とともに海外へ渡った。その貫徹ぶりは誰にも批判できないことだと思います。
 最初にその教育をはじめた園田氏がわが子へ贈った「絶対音感」。そして五嶋節さんも。著者は「絶対音感」とは物心がつく前に親や環境から与えられた、他者の意志の刻印だと表現しています。そこに親としての思いがあるからこそ、子供たちは受け入れ、悩みながら克服し、音楽家として成功したのでしょう。
 
 とにかくこの本。小さいころピアノを習っていたくせに音楽を知らない私には、とても勉強になる面白い本でした。
 音の世界というものを脳科学の分野からも説明しています。生まれたときにはあらゆる音を聞き取る能力を持っていた私たち。音に対する敏感さを失う中で聞き取れない音が増えていく。耳の力をもっと大事に。さしずめわが子にしてやれるのは、こういうことでしょうか。





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Last updated  2003.01.21 23:28:54


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