○「予断」に過ぎるが。『脳内汚染』岡田尊司著・文芸
○「予断」に過ぎるが。『脳内汚染』岡田尊司著・文芸春秋社刊・1680E.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○「書き下ろし」の断り。○3月4日sat.仙台丸善アエル店で購入・新刊コーナー平積み、○2005年12月15日 第一刷 2006年 2月 1日 第三刷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○柳田邦男・○斉藤孝・○鹿島茂・毎日新聞書評氏 各氏の「賛」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○読む前に「買う」。当然だがその段階でその本にはなにが書かれているのかは推測が付く。広告宣伝の類には「賛」が並置され各界の著名人の「支持」が表明される。○各界の著名人とはそれぞれの「世界」で自分の「庭」を有するヒトビトである。かれらの「庭」とは、「縄張り」でもある。勢力図でもある。○読む前から本に書かれていることの「内容」は察しが付く。世の中の動き流れ変化傾向を見ていれば、NEXTが見込める。予測想定の範囲内の「本」「情報」がある種の権威漬けの元に流布される。それだけのことである場合が少なくない。○「権威」とは、「出版社」であり「専門家」「経歴」の類だ。○それにしてもこの「権威」の失墜を目の当たりにしている。○部分的な微分的な「正論」なのだ。どうもそれ以上の内容には到らない。「専門家」ってみんな「変」というのも次第に「常識化」しつつある。○メディアは独自の視点を評価力をもたず、まして Pic-upする事象、人物に「責任ある態度」をしめさない。「権威」はそれぞれの関与者の隠れ蓑になる。一級建築士しかり、医師国家試験合格者しかりである。「国家資格」のなんたるかを知らずにその「権威」だけを盲信する。あるいは盲信以上に絶対化すらする。○社会的分業化。はてな?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○「書評」という行為もこうした循環から逃れることはない。ぐるぐる廻る。その中心の空洞化と同時に遠心的なちからは外部に放射されることで社会化、浸透度を深める。が、そこにはそれに見合うだけの「責任」はない。「現象」の垂れ流しがあるだけだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○さて、著者。1960年,香川県生。45歳.精神科医・医学博士・東京大哲学科中退、京都大医学部卒、~同大学院。「高次脳科学講座神経生物学教室」「脳病体生理学講座精神医学教室」現在、京都医療少年院勤務著書『人格障害の時代』平凡社新書『パーソリティ障害』PHP新書『悲しみの子どもたち』集英社新書、「・・・」など。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○精神科医の経歴を多くは知らないが、みなそう単純なものではないだろう。哲学から医学へ。それも「精神科」。それも「少年院」勤務の臨床医。研究室生活からである。○わたしのなかには精神科医に対する「反撥」が醸成されたままになっている。20代に、いわゆる「反精神医学」といわれたR・D・レインの行動著書「引き裂かれた自己」などに感化され、かれの思考を支持した経緯からだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■memo.「ほりえもん」こと東京拘置所にいる、堀江貴文の言を思いだす。□「想定内」□「ルールの支配者は一瞬でもになれる」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○途中にこうした「分断」を挿入するのは、『脳内汚染』の岡田の執筆動機と背景を、「捉え直したい」からである。○本の始めの方で、「情報(環境)汚染」を食い止めることが臨床医の責務、ながい逡巡のはてに岡田氏はそう考えた」のだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○ここでこの「本」の対象とする範囲も、著者の立場も明らかになっている。限定空間設定、専門的対応、現実臨床的態度。○これが「限界」なのだ。必要性は認めるがそれ以上の驀進力をもつ「情報社会産業」の功罪、特にそのについての思考が不可欠なのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○ここに突入することは、臨床でなく、医師でなく、精神科医でなく、「思想家」になるのかもしれない。しかしこの「部位」に関わる言説無くして、「全体」から被るとそれへのではすまされない。○現実、と記したが劇的に進行しているではないのか。これをしろ、とはいえないだろう。○可能体の模索が必要なのだ。という可能態のことだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○「メディア・リテラシー」に触れる。が、それ以上にに潜む、tric,meaning,にこそ眼を、分析を進めるべきなのだ。か。(はたして)なのかである。○われわれはM・フーコーなどの「近代の分析研究」の成果をもつ。歴史科学社会思想政治、それらの複合化状態のなかでもがき生きるについての心理精神の究明ももつ。○これらの「蓄積」は隠匿されているとおもう。社会的にはされているという意味合いだ。チューリッヒのJUNG研究所の成果を検証したい欲求にある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○精神分裂病→統合失調症への(呼称)変更、精神病棟の一般化(社会化)○つまり、の罪からの避難でなく、追究すべきは、そのものにこそある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○われわれはいま、「産業革命」以上に凄い時代に生きている。といったヒトがいる。そのは得てしてこういう「被害めいた」話でしか登場しないのかも知れない。崩壊する秩序解体する人格。目まぐるしいほどの反復。鋭敏な知覚を要求する差異。それらの「現象としての襞」に触覚を得ることでかろうじて実在を確認できる。そんな心細い生にある。(のかもしれない)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○さて以上のことが、読む前の「予断的な批評」に相当するものだ。indexと、「賛」、批評文は未読、その程度。後は、「読後」にする。