ドラえもんのポケット
先日、TV番組で、元サッカー選手の方が「(タトゥーが)必要なものであるならば、生まれたときから 体に入っていると思う」というようなことを、おっしゃっていました。そのときは、「たしかに!」と、笑っていたんですけど、今日、あるメルマガの課題に取り組んでいる最中に、ふと 思ったんです。私たち ひとりひとり、それぞれに必要なものは ちゃんと装備された上で生まれてきているのではなかろうか、と。今回の人生に必要な(能力的な)ものは、最初から、持っている。自分が それらを 持っていることに気づいていようと、いまいと、必要なものは、生まれたときから 備わっている。私は ずっと、人生のほとんどの時間、「まだ足りない、まだ足りない」と、自分に足りないところを 埋めるために さんざん いろいろ やってきたけれど。そして、それは 決して無駄ではなかったし(とても効率の悪い人生の歩み方だったとは思うが)そうやって 追いかけ続けられる気力のようなもの自体が、私の標準装備だったのかもしれないけれど。なーんだ。必要なものは、持って生まれてきているんだ?そう 思ったら、とても 気が楽になったのでした。ソレが ソコに あるのが アタリマエすぎて、ソレが 使える武器であることに気づいていないだけなのかもしれない。もし、「コレが必要なのに、ないよ? 持ってないよ?」と 思ったら、どこかにある秘密のポケットの中を 探せば、出てくるのかもしれない。こういうとき、ヒトムカシ前の私だったら、「持っているもので勝負するしかないのかぁ」としょんぼりしていたんだろうな。でも、いまは、「ああ、持っているのか、なら安心だ」と、ニタニタしている、できている。ドラえもんみたいにね、ポケットに 手を突っ込んでゴソゴソやっている自分の姿を 想像したら、なんだか おかしくなっちゃってね。人生の半分以上、いや3分の2くらい? を過ぎた いま頃になってから、「私は いったい なにを持って 生まれてきているのだろう」とポケットの中を ひっかきまわしている自分が、これまた、 おかしくて。箸が転んでもおかしい年頃・・・(箸は転がるものであって、転ぶものではないように思うのだが?)そんなお年頃を再び三度迎えている 今日この頃でございます。そして、歩いていた箸が つまずいてコケている姿を 想像して、また笑ふ。ありがとうございます。