課題がついてくる
なにをしていようとも、なにもしていなくとも、人生の課題は、常に、そこに 存在している。私の気づかないところで、バックグラウンド印刷のように ひっそりと、働きかけ続けている。ふと 気づけば、いつも、自分が いま向き合うべきことの素材がそこに 転がっているんだ。そして、ふとした瞬間に、気づくんだ。ああ、いま、わたしは、このことに取り組んでいたのか・・・と。意識に上ってしまえば、それは、表に出てきて、働き始める。動き出す。おもしろいのは、いまの私は、それを、「常に 課題に 追いかけられている!」「課題から逃れられないんだ・・」などと悲観的にとらえてはいないこと、でしょうか。わざわざ 自分から 課題に ぶち当たりに行かずとも、ゆるゆる 生きていたって、課題の方から、ついてきてくれている。必要とあらば 顔を出し、ぽん!と 背中を押してくれる。時期尚早ならば、そのときが来るまで 黙って、 見守ってくれている。なーんだ。課題って、いつも そばにいてくれる、わたしの、味方だったのかも?そんなことに 気づいて 初めて、これまでは、課題=立ち向かうべきもの=自分の敵、と とらえていたんだ、ということにも思い当たりました。前のめりになっている上半身を、ちょっと引いて、離れたところから見てみる姿勢が、必要なんだよな。すぐに忘れて、また 背中を丸めて、見えもしない針の先を 見つめてしまうのだけれども。ありがとうございます。