テーマ:本のある暮らし(3215)
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物語に逃げるのは、弱さだというのは知っている。
母方の祖父母はあの日のことを口に出さずに逝ってしまった。父方の祖父は地方新聞社に被爆体験の小さなコラムをひとつ書いた。それっきり、語らなかった。 まだ元気でいる祖母は、私がほんとに小さいときに、一度だけ亡くなった叔母の話をしてくれた。それから去年の正月に、小高い山の神社に初詣に行ったとき。 「あの日、街から大きな音がして、びっくりしてここまで駆け上がって、街を見たよ。」 足元に広がる街、太田川が新春の日にきらきら光る。冬の白い空気。たくさんの家、マンション、アパート、ビル。とおく宇品の海がうっすらと見え、背の高いホテルの影が見える。 「街は真っ黒で、雲だけがわあわあ湧き上がって、」 それきり祖母は口をつぐんで、黙ったまま、ひかる街をみていた。 祖母は昭和20年8月7日、街にいた祖父をさがし、叔母をさがして被爆したのだ。その日の風景についてはいまだに何も語らない。 語れないのだと思う。 「壁に消える少年」「広島の姉妹」「広島の母たち」「つるの飛ぶ日」「ふたりのイーダ」「ピカっ子ちゃん」長崎の話だけれど「8月がくるたびに」 どれも児童文学です。 語れないかわりに、図書館で借り出されてきて、手渡された本たちです。ほかにも、たくさん。小冊子とか、原爆絵本の「マチント」とか。 家にあるのは「ふたりのイーダ」 松谷みよこ (イナイ、イナイ、ドコニモイナイ・・・) 第一級の児童文学でもあります。原爆はちょっと、とか、小難しいのキライ、って人もお手にとってみてください。 お願い、忘れないで。 どっちが悪い、とかじゃない。命を惜しむ心を、命を悼む心を失くしたら、おしまいじゃないか。戦争、だけの話じゃなくて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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