テーマ:旅の写真(80)
カテゴリ:近畿旅日記
伏見城は、東山の最南端桃山に位置し、南には巨椋池と宇治川があり、水運より大坂と京都とを直結する要衝の地にあった城で、 1594年(文禄元年)、豊臣秀吉が隠居城として築いた城。京都の南の要である指月岡(伏見区桃山町泰長老)に築かれた伏見城であるが、 1596年に発生した慶長の大地震により天守閣などが倒壊してしまった。急ぎ再建された伏見城は、指月岡ではなくすぐ東北にある木幡山(こはたやま、伏見区桃山町明治天皇陵域内)に築かれ、これが現在の城跡となっている。なお、現在、ここは桃山御陵があり、中に立ち入ることができない。再建された伏見城は以前の伏見城に比べると規模が大きく、豪華な飾りが施された桃山文化の城となった。 そして、1598年8月18日、一代で天下をとった豊臣秀吉はこの城で没している。秀吉没後、徳川家康が豊臣秀頼の後見人として伏見城に入った。 1600年、関ヶ原の合戦において、城を守る鳥居元忠は、攻め寄せる西軍と奮戦しますが落城し伏見城も焼失した。関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は伏見城を再建し、伏見城で征夷大将軍となり徳川幕府開祖となっている。3代将軍徳川家光の将軍宣下を最後に伏見城は廃城となった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.07.09 23:06:37
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