♪♪♪ 考古学・歴史散策ガイド 矢田旅人版 ♪♪♪
今年こそ、学習計画が砂上の楼閣にならないようにがんばろう! 4月から通信大学の4回生になりまーす。♪ 働きながら学び始めたこの1年間を振り返ると散々の結果だった。 ☆☆今年こそ、去年の二の舞にならないように、履修計画を組むぞー!☆☆ ![]()
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〔1〕郡山藩最後の藩主って知っていますか?
柳沢保申は廃藩で禄を失った旧藩士たちの生活再建のために様々な事業授産策を講じたほか、郡山尋常中学校(現在の県立郡山高校)創立のために土地や多額の資金を提供。現在の大和郡山市の基礎を築いた開明的な政治家ですよ。 柳沢保申は廃藩置県を冷静に受け止めるよう注意を促す一方、自らを世間知らずの「不肖」と称しへりくだって忠勤を呼び掛けるなど、所謂“お殿様”の言葉とは思えない言葉使いをしています。 柳沢家は、5代将軍・徳川綱吉の側用人、老中として権勢を揮った柳沢吉保の子孫にあたる有力大名ですが、保申は、自分は門閥家に生まれ、世間の苦労を知らないとし、「不肖之身」の自分に悪い点があれば忠告し、「せいぜい尽力のほどひとえに頼み入る」と常々、家臣に訴えています。 廃藩置県後、職を失った地方士族が各地で反乱を起こしたが、保申は旧藩士のために、授産所や郡山の特産である金魚の研究所を設立もしています。 〔2〕奈良・大和郡山の中世戦国史は面白いよ! 夏以降、僕は奈良・大和郡山を中心とした中世戦国史関係の資料収集や分析にどっぷりとはまり込んでしまいました。 今は幻となった筒井順慶の筒井城から豊臣秀長の郡山城へどのように変遷したんやろか? 秋の夜長、関係する文献資料を読みふけってます。 そんな訳で、ブログの更新がぜんぜんできませんでした。 でも、これから、少しずつブログで紹介していきますよ。♪ ご期待をしてくださいね。・・・・・♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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