テーマ:今日の出来事(287616)
カテゴリ:神奈川県の城
H29.9.24 訪城
土塁であったり空堀であったり、地形の起伏を写すことは難しい。 そのため家にあった古いデジカメで試してみようと思い、それなりに行きやすい小机城に行ってみることにした。 横浜線は小机駅で下車すると、すぐに日産スタジアムが見える。新横浜の隣駅というかなり都会な地にも関わらず、埼スタみたいな景色が現れた。 西に行けば相模原や町田など家しかなく、東は都会という絶妙なところに広大な田園とスタジアムがある光景は珍しく思えた。 小机城址市民の森遠望 南側をjrが、西側城内を第三京浜が、北側を鶴見川が通る要衝?である。 今回は、中世城郭研究会編の「東国の中世城郭」より、西村和夫氏の縄張り図をお借りした。 出典:https://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/chujoken/books/togoku/kodukuezyo.html 出典:同上、加筆 少し時間が空いてしまったため、今回は写真の紹介に留めたいと思う。 地点A 入り口より上がって正面の空堀の西郭とつながる土橋を撮ったもの。深さ5m、幅10mはゆうにあるだろう。 地点B 土橋より横堀を撮影。手前側が少しせり出し奥が見えなくなっているが、崩れたようにも見える。 地点C かつてはなかった西郭北側の空堀へと降りる遊歩道から、西郭と帯郭を結ぶ土橋を撮った。 西郭の東側の虎口は外枡形のようになっている。 写真を見ると、帯郭の北側の先端が西に折れ、横矢がかかっていて、西郭との間の空堀に障子堀があったのではないかと思わせる微高地がある。 地点D(推定) 東郭から空堀に降りる遊歩道の途中から撮影。 左手側が東郭で15m以上はある最大規模の切岸(人口の崖)。 段丘崖を利用した深い堀である。 地点E 低い所を通って行こうとすると、土橋で行き止まり。こうして見ていくと東西の郭を比べて西側の方が複雑な構造をしているように感じられる。 外枡形のところにあった看板によると、この城は「長尾景春」という人物が反乱した際に太田道灌が城を落としたという。 その後、この城は北条氏の支城ネットワークの中継点として利用されたらしい。 国土地理院地図より作成 小田原城から玉縄、小机経由で江戸につき、各地へ伝達されていったのではと想起できる。また、山の辺道と呼ばれる小田原〜津久井ー滝山ー鉢形を結ぶ道路の存在について、「関東の名城を歩く」で示唆されている。 当時の交通事情について、いい資料があれば教えてくださいm(_ _)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.09.30 19:04:29
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