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カテゴリ:精神
「これがオリンピックだと思います」
女子柔道オリンピック選手の福見選手が、 ハンガリー代表に敗れメダルを逃したときの言葉である。 この言葉にはどういう意味が込められているのか。 オリンピックと他の大会は違うということだろうが、その違いは何か。 私は柔道はド素人であるが、 同じ武道である剣道は20年近く続けており、 剣道の武道としての意味合いについても書いたことがある。 その経験から考えてみたい。 確認するまでもなく柔道も剣道と同じ武道である。 そして、前回の記事のとおり、剣道の武道としての意味合いを尊重して、 剣道はオリンピック種目にはなっていない。 もし、剣道がオリンピック種目となれば勝ち負けを重んじる競技性が重視され、 人間形成を目的とする武道として意味が薄れるだろう。 柔道は同じ武道でありながら、剣道とは違い、オリンピック種目となる道を選んだ。 しかし、当然武道としての柔道を捨てたわけではなく、 競技と武道の融合を図ったと想像する。 それは想像以上に難しいことだったに違いない。 剣道の世界大会をみても、残念ながら外国の選手がどこまで 武道としての剣道を理解しているのかと首をかしげたくなる。 そして、より深刻なことは、武道としての剣道を熟知している日本代表選手でさえ、 外国の選手と対峙すれば、勝つことが第一となり、 武道とはかけ離れた、競技性むき出しの「見苦しい」試合を展開する。 相手に打たれまいと姿勢を崩し、極端な防御体制をとる。 相手を打とうとする余り、意表を突いた技やフェイントをかけてみたりする。 そこには剣道を通じて、人間性を高めるという武道の精神がなく、 武道の精神なくして剣道は剣道たりえない。 「あんな試合ならやらない方がいい」と師匠が言うのも納得である。 剣道の世界では、「見苦しい」勝ち方をしても評価されない。 オリンピックや世界大会ではこれがジレンマとなる。 国を代表する以上、「見苦しい」勝ち方なら勝たなくていいとはならず、 まして国技となれば、勝って当たり前という感がある。 他国の選手は国を背負い、 死にものぐるいで掛かってくる。 そこに武道の精神が介在する余地はあるのだろうか。 苦しいのは日本の代表選手である。 柔道の代表選手も剣道と同じように、 日頃から武道の精神をすり込まれていることだろう。 代表選手ともなれば、他の模範となることが期待されるのであるから、なおさらである。 試合でも武道の精神に叶った勝ち方が求められてきたはずだ。 しかし、繰り返しであるが、オリンピックや世界大会は国内大会と異なり、それを許さない。 勝つことが第一。武道の精神は二の次である。 いつもと違うことが求められれば、歪みが生じる。 メダル目前で敗れた福見選手の言葉には、なんだかそんな苦悩が滲んでいる気がするのだ。 「これがオリンピックだと思います」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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