2014/05/07(水)09:15
『フルサトをつくる』 伊藤洋志、Pha
【送料無料選択可!】フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方[本/雑誌] / 伊...
価格:1,512円(税込、送料別)
★★★★★
『ナリワイをつくる』の伊藤さんと、『ニートの歩き方』のPhaさんの共著。
自分が今住んでいる場所に加えてフルサトをつくる(=協力できる人がいる遠くの場所を持つ(P98))ことが、本書のコンセプトである。フルサトに適した場所は、家賃が安くて、波長の合う人がいる田舎だ。少しのお金で生活ができ、協力し合える仲間がいるフルサトを見つけることができれば、それは強力なバックアップ(生活保障)となり、都市での暮らしもずっと楽なものとなる。お金がなくても生きていける「フルサト」を見つけることができたなら、都市の仕事でのチャレンジの幅もずっと広がる。失敗しても、フルサトがある。死にはしないとう心持が得られるのである。
そう、本書のいいところは、都市の生活を否定して、田舎に骨を埋めることをススメているのではなく、複数の拠点を持つことの良さを主張しているところである。都会と田舎という二つの居場所を持つことは、どちらの生活にもプラスになると言う。
本書がフルサトに適した場所だとするのは、多様な人がいる田舎である。「俺が新たにフルサトをつくる!」と意気込んで、一人で田舎に乗り込むのはあまり得策ではない。孤独だし、とても大変だ。大切なのは人の縁を頼りに、既に次の三種類の人がいる場所を探すことだ(P35)。「ずっと住んでいる地元の人」、「他から移住してきた人」、「ときどき遊びに来る人」(P123)。このような場所は、定住しなければならないという強制感もないし、出入りが自由で居心地がいい。行きたいと思った時に行けるのがいい。
本書は、人との繋がりをとても重視している。人間関係から利害関係や立場を取り除き、隣人として交流をする。フルサトでは、お金や地位は大して役に立たないから、みんなの行動は「楽しい」かどうかに左右される。子どもの頃のように、人と人が繋がることができる。田舎はそんな人間関係を築くのに適した場所だ。
フルサトづくりの事例もいくつか紹介されている。田舎には、自然やゆとりはあるが、無いものも多い。でも、フルサトでは、欲しいものがあれば、交換をしたり、つくったりする。田舎にカフェや本屋が欲しいと考えて、廃校を譲り受け協力して作ってしまう人もいる。
「田舎でゆるい感じでなんか一緒に床張りとかの作業をして、一緒に風呂に行ってごはんを作って食べて同じ部屋で眠るというのを数日やっていると、自然に親近感が生まれて打ち解けやすい」(P120)これがフルサトの醍醐味ではないか。シゴトを仕事のためや給料のためにやるのではなく、楽しいからだとか、あったらいいなという気持ちから始める。すると人間関係の深まりという副産物か付いてきて、暮らしがさらに豊かになる。「都会だと何でもただ消費するだけのことが多いけど、(中略)消費よりも生産の方が面白いと思う」(P222)という言葉は印象的だ。
実は、僕もこの事例となっているフルサトへ何度も行ったことがあり、伊藤さんやPhaさんともお会いしたことがある。上記内容に引用と自分の気持ちが入り混じってしまっている部分があることをご容赦いただきたい。
僕がフルサトと出会えて良かったのは、都会の価値観がすべてではないということを訪れるたびに思い出させてくれ、軽い気持ちにさせてくれるところだ。都会では(おそらく特に僕の周りは)金を稼ぐことと成長することが強調されすぎている気がする。金を稼いで何をするのか、成長して何をするのか、ということがほとんど考えられていない。人との差別化、もっと言えば人より「いい(と思われている)」ポジションを確保することや組織を守ることが目的になっている気がする(僕の周りでは)。それが肌に合わない人は、体を壊したり、精神的につらくなってしまう。
田舎では、金や地位やブランド品が評価されないから、本当にその人がどういう人かで見られる。そして、人間性というものは多様で一つの評価基準がないから、自然体でいやすいのかもしれない。何かをしてもらったら、次は自分ができる範囲で何かを返してあげる、というルールを守っていればいいというシンプルなものだ。
最後に印象に残った部分を引用したい。
「攻撃(収入を増やす)と防御(支出を減らす)が同時にできればかなり丈夫な家計モデルになる。現代人は攻撃しかしないから、ちょっとしたことで家計が揺らぐ。(P146)」
ここでいう防御は節約をすることばかりではなく、自分で生産をして、消費を減らすことだ。たとえば庭にイチジクの木を植えることのように。
夏の収穫が楽しみだ。